どうも、Ryuです!
現在この記事を産婦人科の部屋から書いております。
と言うのも、9/15の未明に妊娠中の妻が破水し、タクシーで産婦人科へ急行。
そのまま陣痛が来たので、私も立ち会い、無事に赤ちゃんを出産しました!!
更に実は遡ること先週の9/6、
まず私が喉が痛くなり、9/11に病院を受診し、コロナの陽性となってしまいました・・
初めての感染です。
そして芋づる式に、現在来日してもらっている妻の両親が体調が悪くなり、
最後に妻も感染してしまったのです。
なんでよりによってこのタイミングなんだと悔やみましたが、何はともあれ母子ともに健康に暮らしております。
ということで、産婦人科からお届けいたします!
2011/08/17 – 08/31 キューバの旅
キューバのスペイン語は分かりにくい
とはカンクンの宿でキューバに行った人たちから伺っていたのだが、
道中の車内で凄い剣幕で喋ってきた。
爆音のキューバンミュージックの中、
「年はいくつだ?」とか、
「キューバは好きか」とか、簡単な会話だったのだが、
このときの俺はまだまだスペイン語に触れたての赤ん坊のようだったので、
これだけを聞き取るのにも苦労した。
このタクシー、というか一般車はまたボロッボロの旧アメ車で、
いい味を出していました。たしか緑の車体でした。
じっとりと肌に絡みつくような湿気と暑さの中、
流れゆく慎ましやかに暮らしている(のであろう)地元民の家々、
流れゆく映画でしか見かけないようなド派手なクラシックカー、
流れゆく間近で見れば見るほど崩れ落ちてきそうな建物。
これがキューバか、と眺めているうちにカピトリオに到着。
キューバの平均月収が40CUCの中、
俺は5CUCを払う。
本当は一般人の車に外国人を乗せてはいけないらしいのだが。
実際交差点で止まっているパトカーが発進するまでその隣には車を進めなかった。
とにかく市内につき、
葉巻工場やカピトリオを眺めつつ、
カピトリオ前の(ほぼ)日本人宿、ホアキーナおばさんの宿へ。
本来CUCは外国人専用の通貨で、美術館の入場料だったり、
外国人向けのレストランやホテルにて支払うべき通貨なのですが、
こういういわゆる口約束での取引ではなかば平然とCUCが使用されていたのです。
インターホンを押すと、
3階のベランダからプラスチックの鍵が投げられた。
それを使ってドアを開け、
3階へ。
一歩踏み入れると、ホアキーナが「Hola! コンニチハ」と、
凄く好意的に迎え入れてくれた。
風が心地よく吹き抜けるリビングには4,5人の日本人の旅人がいた。
部屋に通されるとドミトリーで、しかも最後のベットだった。
キューバではカサ・パルティクラルという宿が、主に低予算の旅人が泊まる場所となっているのだが、
経営者も宿を無断では営業できず、
煩雑な手続きを経たあと、初めて宿を営業できるらしい。
しかも定期的かつ抜き打ちで宿の経営実態チェックが行われるらしく、
下手にふざけたこともできない。
しかも隣人からの密告制度も健在らしい。
基本的にはカサ・パルティクラルは1部屋につき1つか2つ(あるいは3つ)のベッドがあるだけなのだが、
ホアキーナさんの所は例外的にドミトリーになっている。
カサ・パルティクラルの値段は大体20CUC前後(朝食込みや、夕食は別途などまちまち)だが、
ホアキーナさんのところは10CUCで朝食付きと、破格なのである。
しかも日本のキューバ関連書籍や情報ノート(日本語はもちろん韓国語まで)もある。
ここで前日にひと足早くキューバに向かったようこさん、よしおかさんと再会した。
場所はココ! カピトリオハウス(Capitolio House)
場所はカピトリオの北側に面しています。現在は前オーナーのホアキーナおばさんがこの場所を
手放したそうで、もうやってないのかな、と思ったのですが、
google mapには割と最近のコメントがあるのでやってるみたいです。
ただオンラインの情報が乏しいので、やはりキューバは現地で確認がベストです。
キューバは犯罪率が低く、人々は楽観的で、差別も少なく、
夜でも出歩くことができる、というのが定説だったが、
ここ最近では外国人旅行客に対して、スリや強盗なども少しではあるが出てきたらしい。
とはいっても最低限の自己防衛をしていたら安全よ、
とホアキーナとお手伝いさん?みたいな人に言われたのでハバナを少し散策。
夜のマレコン通りに行くと、
いちゃついているカップル、
釣りをしている人、
夕涼みに来ている子供や家族、
売春婦など色んな人たちがマレコン沿いのコンクリートに腰掛けていた。
アジア人は物珍しいので、声はかけられるのですが、
治安が悪い感じはないです。ただ街灯が少なく暗いです。
マレコンに行く途中に「チーノ!(Chino=中国人)」と言われ、
ひとりのキューバ人に出会う。
名前はミチェル。
歩きながら拙すぎるスペイン語で話していると、
「俺がマレコンと、あと近くの有名な像も紹介してあげるよ。」と言ってきた。
この手の誘いは、海外旅行(特に俺が行くような国)においてはなかなか詐欺の確率が高い。
後でお金を請求してきたり、あるいは路地に連れてかれて何らかの犯罪に巻き込まれる可能性もある。
しかしこのような誘いを全部が全部断ると、
それはそれでその国の一般人と話すチャンスを逃してしまう。
そこの見極めが大事だというのは、ほかの旅人と同じように自分も肝に銘じている。
何か怪しいぞと感じたら、一歩踏み込んで話していたとしても、そこから少し下がって会話することにしている。
最終的にこのミチェルは、
単に稀有なアジア人に少し興味をもった極めて善良なキューバ人だった。
俺もスペイン語を使ってみたかったので、
色々尋ねると、色々と答えてくれ、さながら即席スペイン語講座だった。
ミチェルと別れ、
夜のオビスポ通りを歩く。
夜10時前後だったので店もほとんど閉まっており、
少し来るのが遅かったなと残念に思いながら、突き当たりの海岸沿いに出る。
対岸にカバーニャ要塞が見えるここにもいくつか賑わっているレストランがあったが、
もうオーダーは終わったと突っ返された。
諦めて別の道で宿に戻る道中、
カテドラル広場で音楽が聞こえた。
行ってみると、そこはオープンレストランになっており、
ハバナ歴史地区の荘厳な建物がインターナショナルオレンジでライトアップされていて、とても美しかった。
そこに6,7人のオーケストラがインストゥルメンタルでHey Judeを奏でていた。
翌朝(22/8)、唯一欧米のスイス人が朝早く出ていくのを見送り、
フルーツ、目玉焼き、フルーツジュース、硬いパン、エスプレッソの朝食を食べる。
「パンは買いだめするから日が経つと硬いんですよ。」
と物知りな日本人旅人と一緒に。
出来たら今日バスでキューバの東のサンティアゴ・デ・クーバに行きたいと何となく漏らしていると、
「今日はもしかしたらもういっぱいかもしれないよ」とのこと。
なんでも今は一応(欧米のバカンス客も含めて)ハイシーズンらしく、
バス一本で最東のサンチャゴまで行く便は一日に数本あるものの結構混雑しているらしい。
とりあえずシャワーを浴びた。
俺の持っているロンプラ(一応この時の最新版)には、
他にも電車という手段があり、
バスでは51CUCだが、
普段の電車は50CUC、日によっては電車のほうが安いのではないかと、俺の英語の読解力がロンプラから読み取ったため、
興味も相まって、利用する外国人は少ないというその電車で行くことにした。
チケットを買いにいかなくては。
当時のキューバ旅行に行った日本人のブログで、サンチャゴに電車で行った人は
見当たらなかったので、ネタになるかな!という気持ちもありました。
ホアキーナに電車で行くことにしたよと伝えると、
「キューバの電車は遅延なんて朝飯前だよ。出発しないことだってあるんだから。おおアミーゴ、電車で行ってしまうのかい?」
と、物凄くやめといたほうがいいと言われたが、
そう言われると、果たして本当にそうなのかと気になってしまうのが人間の性。
そのひとつの具体性として、旅人もまたそれに当てはまるのだろう。
電車までソールドアウトになる前に、
歩いて駅まで行く。
今思えば、なぜホアキーナの(聞き取りにくいと言われている)キューバンスパニッシュをこのとき理解できたのだろうと思う。
聞き取れなくても、理解しようと努めることは重要なことだ。
大通りを南に下り駅の裏手のチケット売り場に着いた。
ここではキューバの人たちがチケットを買い求めるためにベンチに座って待っているのか、
それとも外が暑いからただ座っているだけなのかは判然としなかったが、
いくつかあるカウンターのひとつに並び、比較的簡単に(屋内にいるキューバ人の人数の割には)チケットを購入することができた。 50CUC
夜の7時発なので、もう少しだけハバナを観光できる。
オビスポ通りの入口にある、フロリディータというバー。
晩年キューバをこよなく愛したかのヘミングウェイの行きつけだった場所である。
ここでダイキリをよく飲んでいたらしく、
ある晩にはダイキリダブルを13杯飲み干したそう(!)
中のバーカウンターには銅像の彼がおり、俺も写真だけ撮らせていただいた。
再びオビスポ通りをぶらぶら。
朝は活気があり、こっちから向こうからと人の往来が激しい。
店もだいたい開いている。
おおよそスーパーと呼べる場所ではないが、
いわゆるキューバの物品販売所に入ってみる。
いくつかのカウンターでそれぞれ日用品や肉、飲み物やお菓子が売られており、お客はそれを基本的には手にとって吟味することはできないようになっている。
何日かキューバを旅行してみるとわかるのだが、
物の種類があまりに限られているため吟味する必要もない。
とにかく盗難防止もあってか、欲しいモノがあれば近くの極めてやる気のない、あるいはあまりやる気のない店員さんにそれを取ってもらう。
値段はショーケースで確認できる。
ご丁寧にちっちゃな小分けのお菓子一つ一つにまで値札が貼ってあった。
tukola0.5CUCとシャンプー1.65CUCを買った。
tukola、つまりこの『あなたのコーラ』はナショナルブランドのコーラであり、
一番よく目にした。
味は本家のコーラよりも味が若干淡い感じ。
決してまずくない。
この暑いキューバで、とてもお世話になった。
これがいわゆる配給所であり、
また日用品(政府が生活必需品だと決めた物)はここで買うことができる。
国民がこのように普段から利用する場所は基本的にCUPであり、
葉巻が1本1CUP、タバコが1箱7CUP前後と非常に安い。
他にもジュースや卵などがあった。
当時1ドル=80円ちょっとだったので、
1$=1CUC=24CUPで、1CUP=4円しないくらいの感覚です。
クラシックカーもここでは現役。
そんなに車に詳しくなくても写真におさめたくなる。
Vedado いわゆる新市街のとある公園にジョンレノンの銅像があるというのをロンプラで発見し、それを今から見に行くと宿にいる日本人に言うと、
どうやらあまりまだ日本人にとっては認知度が低いらしく、一人で行った。
ひたすら大通りを西に歩き、
はじめは通りすがりの、鳩を抱きかかえているおじさんと談笑しながら歩いたりと順調だったが、
炎天下が体に堪えてきたので、右手にある病院前からグアグア(キューバでのバスの呼び名)を、
アイスクリーム片手(イチゴ味)に待つ。
「ジョンレノン公園付近まで行きますか?」
と周りの人や運転手に尋ねてから乗り、
ここで降りたほうがいいと言われたから降り、
もう少しだけ西に住宅街を歩くと、発見。
没後20周年を記念して作られたらしく、
写真を撮ろうとすると、近くにいたおじちゃんがレノンにメガネをかけてくれた。
当初よく盗まれたので今は観光客が来るたびにご丁寧にかけてくれる。
また、「今日は暑いからこれ(ダンボール)を敷いて座ったほうがいい。」
と、客慣れしているのか、英語で対応してくれた。
日本は東京から来たというと、
「フクシマは大丈夫なのか? 東京に影響はないのか?」と気遣ってもくれた。
キューバに失礼かもしれないが、
非常に礼儀正しいおじちゃんだった。
このジョンレノンの銅像は当時まだ出来たばかりで新しく、
日本語のキューバのブログで紹介している人はまだいなかったと思います。
なので私が初!?
場所はココ! レノン公園(Parque John Lennon)
新市街Vedadoの住宅街の中にあり、観光エリアの旧市街から歩くと相当な距離です。
調べるとどうも2000年に銅像を含めて公園ができたみたいです。
タクシーで行くか、バスを調べて行くのがベターです。
「もしジョンレノンやビートルズが好きなら、そこに最近ビートルズのバーができたから行ってみるといい。」と言われ、
公園の1ブロック北に行ってみると、
その名もイエローサブマリン。
ロゴや色使いもそのままで、版権問題には詳しくないが、
一応この時間もオープンしていたと思う。
(日本に帰国してから、ポストに入っていた定期購読の雑誌を開くと、
ちょうどここのバーが小さいコラム程度に紹介されており、
入っておくべきだったと後悔した。)
公園隣のイエローサブマリンのバー、
Submarino Amarilloも現在も絶賛営業中です。
公園から南に下る。
途中英語の話せるキューバ人と野球の話題になり、
「イチローはもちろん、マツザカもいいなぁ。」と褒められた。
「そっちのチャップマンも良い球投げるね。」とギリギリ知っていた唯一のキューバ人選手を言うと喜んでくれた。
実はこの車の写真ですが・・・
なぜ撮影したかと言うと、当時持って行っていたlonely plannetの表紙が下のような感じだったので完全に真似です。右のヘッドライトの隠れ具合とかもホラ。笑
改めて見ると、ロンプラはボンネットの装飾品と背景がビーチという違いはありますが、
私が撮った写真の方がカッコよくないですか? どうでしょうか?
結局革命広場まで結構ある長い距離をたまに休憩しつつも歩いてしまった。
これは今夜の電車は爆睡だ。
また長くなってしまったので、次回は革命広場からです。
名前からしてかっこいいです。たしか、La plaza de la revolucion かな?
早く赤ちゃんを抱っこできるまで待ち遠しいです。
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