~Chino, Pizza con Queso, Ultimo~ キューバ🇨🇺1人旅その4

キューバ

どうも、Ryuです!

前回の記事で、そういえばプチぼったくりがあったことを伝えておりませんでした。

実はミッシェルという地元民に会った後、また別の地元民に誘われ、とあるバーに行きました。

私は下戸なのでもちろん断ったのですが、あまりにしつこく誘われたのでついて行きました。

場所はハバナの中華街の一本道に入り、ちょうど中間ほどにある小さな地元民用のバーだったと思います。

そこでモヒートを飲まされ、たしかお会計が20CUCでした。

とんでもない額ではないものの、まぁ物価的に少しぼったくられたかなと思い、一応抗議はしましたが、

20CUCなので、もうそれだけ払って出ました。

ホアキーナの宿に戻り、2段ベッドの上段だったので、他の人を起こさずに上に上がるのがキツかったですね。笑

引き続き産婦人科内の部屋で執筆していますので、よろしくお願いします。

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2011/08/17 – 08/31 キューバの旅

革命広場に到着。

もっと観光客がいるものかと想像したが、

だだっ広い駐車場にちらほらいるぐらいで、

みんなもう少し涼しい時分に来るのだろうか。

ゲバラのモニュメントは大きいのでとても目立つ。

そこに添えられている、 

Hasta La Victoria Siempre.

『勝利まで、いつまでも。』という言葉。

かっこいいでしょ。

隣には、比較的最近に作られたカミロシエンフエゴスのモニュメントも。

彼もかのキューバ革命に携わった人物の一人。

彼に添えられている言葉は、

Vas Bien, Fidel.

『いいだろ、フィデル。』

死後にこのようなモニュメントまで作ってもらって、羨ましいだろ、フィデル・カストロよ、と言っているのです。

意外とお茶目なんだな。

Ryu
Ryu

この壁画のある建物は官公庁の建物で、日本で言うと

霞ヶ関みたいなもんでしょうね。

ホセ・マルティ国立図書館。

グアグアでカピトリオにある宿に戻り、

置かしてもらっていた荷物を持って、ホアキーナに別れを告げる。



タクシーで駅へ。

写真のこういうアメ車タクシーは高い。

駅へ行くと、チケットを買いに来たときはガラガラだったが、とても混雑していた。

席はほとんどうまっており、その間を様々な行商人が練り歩いている。

大きなせんべいのようなものから、新聞、個包装のお菓子、電池やハサミなどの日用品まで。

ラムネのようなカラフルなお菓子を買ってみた。

味はほぼ砂糖なので、2袋も買ってしまったことを後悔した。

駅のチケットカウンターの壁の看板に、

おそらく『購入したチケットは乗る前に窓口で再確認してください』みたいなことが書いてあったので、

リコンファームをして、チケットにスタンプを押してもらう。



こんなときにもパスポートを見せろと言われる。

キューバ人が安値で買ったチケットを外国人が安値で買わないようにするためか、とかいろいろ考えを巡らせたが、(購入時もパスポート番号をとられた)

いずれにせよ煩雑だ。

キューバ人がチケットを買うときは、なにやらIDのような顔写真付きのものを提示している。

かなり使い込まれていそうだ。 端々がよれよれである。

駅の中2階(写真中央)のような所では常設のお店があり、

服やCD-Rなどの日用品が売っていた。

一介の短期旅行者には、ここでCD-Rを売らねばばらない事情が理解できなかった。

もしかしたら必要になる場合が、キューバの駅にはあるのかもしれない。

Ryu
Ryu

ぱっと見、外国人観光客はおらず地元民のみ。

日本のようにひっきりなしに電車が来るわけではなく、

多くの人はただ座っていつ来るか分からない電車をただ待っているだけです。

クーラーもなく、屋根のある吹き抜けで、人の熱気と気温で暑かったです。。

19時発に向けて、プラットホームへのゲート前が1時間前ぐらいから俄に人が集まってきた。

みんな一様に大きな荷物を持っているので、年に1回か数回しかしないような移動なのだろうか。

そして駅には周りを見ても旅人風情の者はいない。みんないかにも地元のキューバ人といった風貌だ。

あまりバスと値段が変わらないわりには、あまりいい評判を聞かない電車には旅人は寄り付かないのか。

プープーと威勢のいい汽笛を鳴らすも、一向にゲートを開けてはくれず、

(始発のくせに)19時発から1時間後の20時に電車は動き出した。

この頃はちょうど20時ごろから暗くなり始めたので、

車窓の景色も街灯のない所はただの漆黒で、電車内の電気がガラスに反射するばかりだ。



しばらくして軽い夕食としてのハムサンドとTukolaのセットが10CUPで売られ始めた。

本当にへなへなのハムサンドだが、まずいわけではない。

俺は車両の一番後方の、両側に1席ずつしかないうちの右側に座っていたのだが、

『ニュークリアエイジ』を読んでいると、デッキからキューバ人の若い兄ちゃんがしきりにチーノチーノと声をかけてくる。



兄ちゃん「お前はどこに行くんだ?」

「サンティアゴ・デ・クーバだ。」

兄ちゃん「お前もサンチャゴか。実は俺もなんだ。」

このあとも本を読んでいたら、それは何の本だとか、

ボールペンを貸してくれとか、

今鼻をこうやってほじっただろだとか、

なかなか消灯まで休ませてもらえなかった。

兄ちゃんは「ヘイチーノ! サンチャゴー。」と言ってするハイタッチを5回はやった。

Ryu
Ryu

このキューバ人は多分自由席で購入し、席が埋まっていたので

デッキに座っていたような感じでした。年末年始の新幹線のような感じ。

結局サンチャゴ駅に到着したのは14時半だった。

駅から外に出ようとすると、入り口ではものすごい数の客引きでごった返していた。

俺は適当にBICIタクシー(いわゆるサイクルリキシャ)に連れられるままに宿に行った。

1泊15CUC。飯なし。 もうシャワーが浴びれればいいというぐらいに軽く自暴自棄になっていたのが裏目に出たのかどうか、

タクシーの運ちゃんに10CUCと請求を受けた。

正直ふざけるなと今でも言いたい。

ほんの10分前の駅前での「これに乗るのはタダだ。」という交渉すら忘れた振りをしとうそうと言うのか。

散々拙いスペ語で抗議したが、段々自分自身もアホっぽく思えてしまい、

8CUCだけ目も見ずに渡して帰させた。

かばんを部屋に置き、シャワーを浴びる。

そういえば電車にいた兄ちゃんはどこに行ったのだろう。

街へ繰り出す。

やはりハバナよりも幾分雰囲気はゆったりしている。

Ryu
Ryu

左にあるEl Rapidoはちょっとした軽食カフェのような場所で、

キューバ全土に展開しており、クーラーも効いているので結構お世話になりました。

公衆電話は今もばりばり現役。

形も可愛い。

そういやサンチャゴ駅に電車が着く前、

ふと車窓を眺めると、

線路と並行して等間隔に立てられた木の電柱のてっぺんに、

体が黒くて、頭が赤い大きな鳥が約5本に2羽の割合でとまっていた。

最初ハゲワシか何かに見えたから少々驚いたのだが、

充分猛禽類と言われても遜色ない大きさだった。

キューバのファーストフードチェーン店、El Rapidoで昼食をしていると、

学校帰りの小学生2人がチーノに興味を持って近づいてきた。

やはり明らかに自分たちと顔かたちや肌の色が違う東洋人がまだまだ珍しいようだ。

拙いスペイン語で少しおしゃべりをした。

右の子がノエルで左の子がプブリコ。(歳は失念。)

どちらもやんちゃ盛りだが、ノエルがよりやんちゃで、それを時には抑えつつプブリコもやんちゃをしているような感じ。

「それ見せて。」 とデジカメに興味津々。

そりゃ珍しいよな。 こんなもん。

写真を撮ったり撮られたりしてはしゃいでた。

少しサンチャゴの写真も撮っていたので、



「じゃあここはどこでしょう?」とか言って(雰囲気で)、

「これは〜あっちあっち!!」みたいな場所当てクイズもやった。

「家に来てよ。」としきりに誘われてそれぞれの家にも招かれた。

ノエルの家では両親が暗いリビングで椅子に座ってテレビを見ており、ノエルが飼っているグッピーか金魚みたいな魚をわざわざかわいそうに水から出してまで見せてもらった。

プブリコの家では、おばあちゃんが一人蒸し暑いリビングで佇んでいた。

キューバのごく庶民の日常を垣間見せてもらっただけでも嬉しかった。

Ryu
Ryu

今や彼らもおそらく成人したくらいの年齢でしょうか。

好奇心旺盛な子たちでした。

夕方、街で一人の台湾人女性と出会った。

とにかくアジアの顔立ちをしている人が目立つ目立つ。

こんな異国ではアジアという大きなくくりでもどこか親近感が沸くものだ。

コーヒーを飲みながら話をした。

彼女はポンイービン(彭怡平)という方で作家。(帰国後ネットで調べたら、台湾か中国のテレビ番組にも出てて驚いた!)

台湾や香港、日本のことについても旅をしてそれを出版したらしい。 日本語も少し話せた。

この旅でまたキューバについての本を出すかもしれないとのこと。

Ryu
Ryu
彭怡平 - 维基百科,自由的百科全书

勝手ながらウェブで調べると、台湾のwikipediaにも載っているような方でした。

サンチャゴは何と言っても音楽の町。夜にポンさんと一緒に、人がそこそこ集まっていた音楽バー(と言っても入り口がオープンで道行く人が立ち止まって見物している)みたいな場所に行った。

3CUCのモヒート片手に味のあるトリオの歌声と弾き語りに聞き入った。

トリオの紅一点(70,80歳くらい?)のおばあちゃん、

序盤の歌では座ってマラカスをシャカシャカしてたのだが、

突然立ち上がり、ソロで若者顔負けの力強い歌声を披露した。

歌が終わると周りのイタリーや観客たちが拍手喝采。

ポンさんも俺も最前列で聞いたのでとても感動した。

場所はココ! Casa de la Trova

サンチャゴの音楽と言えばこの場所! というほどの50年以上の歴史がある場所です。

ロンリープラネットによると、Buena Vista Social Clubのシンガー、Eliades Ochoaをも魅了した、

と書かれてますので、有名な場所のようです。1階と2階があり、私は1階の写真や絵がたくさん飾ってあるところで聞かせてもらいました。トイレへの道にはビートルズの資料も飾ってありました。


翌朝、モンカダ博物館へ。

壁には銃痕があるのだが、どうも後付けだとかなんとか。。

入り口前の開けたグラウンドでは子供たちがサッカーをしていた。

カミオン(大型トラック)。

役割はほぼバスと一緒。

荷台に客をぶっこみ、狭い道を爆音と凄まじい排気ガスとともに走り抜ける。

この日はモロ要塞へ。

雲行きの怪しい中、全然待っても来なかったモロ行き(正確には途中まで)のバス12に乗る。

乗ったらすぐに土砂降り。

出来ればもうちょっと乗ってたいなぁという謎の欲求も虚しく、下車。

Ryu
Ryu

12番のバスは0.25CUPで、1円もしていない計算です。

地元民の利用するものはとんでもなく安いです!



仏人カップルと一緒にしばしの雨宿り。

雨が小康状態になったのを見計らい、

本当にこの道でいいのか不安になる何もないワインディングロードをゆく。

途中少しまたぱらつくが、走ってごまかして進む。(笑)



そしてどうにか到着。

運良く要塞内では雨も本当にやんで、

いつもどおり嫌になるくらい暑くて痛い晴天になった。

要塞から海を見渡す。

改めてカリブ海を大事に大事に自分の身体に感じさせる。

奥に見える、赤い屋根の家々が可愛らしい島。

一応ロンプラにもCayo Granmaと地図に乗っている。

あそこで昼飯でも食べよう。

ハバナと違い、サンチャゴは芸術色が強い街だと感じました。物価ももしかしたら

ハバナよりも安いのかもしれませんが、あまり分からなかったです。

はい、というわけで次回もサンチャゴ編の続きになります。乞うご期待!

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