どうも、Ryuです!
妻と共に絶賛子育て奮闘中です。
現在は妻の両親が来日しており、同じ部屋に常に居ますので、
日中は両親、
夜から朝にかけては妻と私がお世話しながら4人体制で子育てをしております。
ただその両親もビザの関係でそろそろ帰国のことも考えないといけない為、
いつまでも頼ってられないなぁ、という感じですね。。
ではキューバ編その5です。
2011/08/17 – 08/31 キューバの旅
要塞からまた別のワインディングロードを歩いて、とりあえず島方面へ。
下り道だったので楽ではあったが、急にヒッチに挑戦したくなった。
トルコのカッパドキアでは失敗続きだったので名誉挽回。
少しばかりの恐怖はあるにはあったが、まぁ下り坂でガスはそんなに食わないし、距離もしれてる(前回も同条件だったがw)。
やってみたらあっさり成功。
そして地元民が待っている船乗り場へ。
間もなく船が接岸し、乗り込む。
地元民の値段は忘れたが、俺はしっかり料金表通りの外国人料金1CUCをとられた。
5,6分で島に到着。船に乗っていた若い兄ちゃんに何となく案内され島を反時計回りに一周。
種の周りにほんの少ししかない白い果肉?がついた果物をもらった。
ほんのちょっと柑橘系の風味がする程度で、余計腹が減った。
場所はココ! カジョグランマ(Cayo Granma)
このように、真ん中下にモロ要塞(Castillo del Morro)があり、そこは高台にあるので、地図にある下り道をヒッチし、島の対岸あたりに船着場があったので、そこで降ろしてもらいました。
ボート乗り場が6時の方向とすると、ちょうど12時方向にご飯が食べられそうなレストラン風の民家があった。
長椅子に寝そべる親父にメニューを見せてもらう。
観光地でもないのにそんなに安くないなぁと思っていると、
その建物の白い壁にウミガメの剥製があった。
もしかしてここでならウミガメも食べられたかも。(多分禁じられてる。)
結局7,8時方向にあったレストランで昼飯を食べた。
客は俺と数人のダンサーたち。
「君も踊らないか?」と声をかけてもらった。
「ありがとう。でも見てるだけで十分だ。」
そんなに美味しくない魚のフライ定食(5.5CUC)を食べながらお断りした。
しかし見てて本当にダンスが上手い。
誰かから教わって学んだのではなく、自然に歳を重ねるごとに熟達していったような自信のようなものが彼らから汗と一緒に滲み出ていた。
日本では”踊り”とは、一つの見せものであり、スポーツなどのアクティビティに属するもの
という解釈がありますが、キューバ(おそらくカリブ全体そんな雰囲気かも?)では、そういう堅苦しいものではなく、踊りたくなったら踊る、というレベルの一種の感情表現なんだと感じました。
島を離れ、大型のカミオン(2CUP)でセントロへ戻る。
19時半発カマグエイ行きのバスのチケット(18CUC)を前日に買っていたので、
それまでTropiColaで一休みし、セントロの北にあるViazulバスターミナルへ。
ON TIMEのバスは午前2時にカマグエイ着。
日本の夜行バスではまともに寝れたことがないのに、疲れもあってか爆睡した。
日本の夜行バスは毎回確実に寝れず、苦しい時を過ごしますが、
夜行バスはクーラーが快適で、毎夜毎夜の爆睡でした笑
地元民は高い為乗らず、欧米の年配客が多かったです。
そういや晩飯食べてなかったなと思い、まだ暗いバスターミナルの壁の外からバスの客に食べ物を売るおばちゃんから5CUPのサンドイッチを買う。
具は得体のしれない毒々しいほど赤いペースト状のものとチーズ。
この赤いのがやたら甘く、これ以外の部分だけ食べた。
ターミナルの待合室は常に薄暗く、読書はできそうになかったが、
夜明けまで、ベンチで仮眠。
汗と湿気と砂埃にまみれ、寝たのかどうか分からない苦しみの中、外が明るくなった。
この街に泊まるつもりはなかったので、荷物だけ2CUPで預かってもらい、
チケット売り場が開くのを待ってから一番でトリニダー行きのチケット15CUCを購入。
ターミナルの裏手で売っていた、きゅうりと塩豚のサンドイッチ5CUP(これが妙に美味かった!)を食べながらセントロへ。
ハバナやサンチャゴなんかよりも綺麗に整備されたショッピングストリートへ。
碁盤目状ではない、キューバでは異端なくねくねした道。
スーパーやお土産屋、もちろんEl Rapidoもあった。
私にとってのキューバの拠り所です。何ヵ所も渡り歩きました。笑
基本的に中間層以上の地元民しかいないので、中の雰囲気は安定しています。
テーブルによってはお酒の缶を20も30も並べて、酒盛りをしている人も結構いました。
ここのEl Rapidoはキューバで訪れた中でも唯一、店内にパンやカップケーキやクッキーなどを売る別レジがあった。
ちょうど日本のスーパーの、地元の農家の地産地消コーナーのような感じ。
El Rapido、奥が深いし懐も深い。
そんな素晴らしいEl Rapidoにて。
俺が席についていると、軽く異臭を放ったホームレスが俺の机についたので少し喋った。
「どうだ、カマグエイ良いトコだろ!?」
俺「確かにね。でもおじさんこんな暑い中大変でしょ?」
「ああ。俺は家も金もないし、こういうホームレスは今キューバに増えているんだ。カストロもあんな歳だろ。もうそろそろ終わりさ。」
俺は内心「あんたが言うなよ。」とは思ったが言わなかった。
「ところで何か食べ物ここで買ってくれないか。」
その要求を突っぱねると彼はレジで注文していたおばさんのそばへ行き、
おばさんのケツを軽く叩いて食べ物を媚びていた。
おばさんは彼のケツを叩き返し、「何で買わなきゃいけないのよ!」みたいなことを言い返していた。
彼も一日一日を生きるのに必死なのだ。
El Rapidoは値段表示がCUCのため、
おそらく中で食べている地元民は比較的お金を持っている人たちではないかと思う。
一つのテーブルに3,4人でついてBucaneroとCristalというお酒の缶を30本前後並べて飲んでる人たちも何回か見かけた。
そこで飲み終わった空き缶やアイスクリームのカップを見つけてはホームレスが勝手に回収しては持っていってしまう。
そんな意味も含め、El Rapidoはどこでも大体混んでいる。(中は何と言っても涼しいしね。)
地元民で行列ができているパスタ屋さんがあったので並んで見ることに。(さっきから食ってばっかだが。)
相席で席につき、ナポリタン5CUPとハンバーガー2CUPを注文。
出てきたのはうどんかと見紛うほどの極太ナポリタン。
なぜ混んでいるのか分からん。
珍しく無料で水が出てきた。
私がたまたまうまいものに出会わなかったのか、総じて食べ物は微妙でした。
なんというか、まず料理に対する熱意が感じられません。
作る側も食べる側も。腹が満たされれば適当でいいやー、みたいな雰囲気です。
サラダも基本きゅうりとかトマトを薄くスライスしただけのものです。
調味料もかかってません。
街の中心部をひと通り歩き、
ベンチでおばあちゃんと喋ったり、
ケーキ屋を覗いたり。
トリニダー行のバスが午前2時過ぎ発なので、逆にすることがない。
早めにターミナルに行き、荷物を受け取り少し仮眠をした。
どの街でもこのくどそうなケーキをホールで買って、
外で持ち歩いている人を結構見ました。
多分クリームはバタークリームでしょうか?
生クリームは手に入りにくそうなので。
翌朝7時トリニダー着。
どうやら今回も寒い車内で爆睡したようだ。
バスを降りると日本人らしき2人組のカップルに会った。
考えてみればキューバではハバナ以外驚くほど日本人には会わなかったので少し安心した。
振り返ってみると、朝7時過ぎでまだ薄暗いにもかかわらず、
30人ほどのヒネテーラ(宿勧誘のおばちゃん)が、おそらくバス会社との取り決めぎりぎりの境界線にずらっと並んでいた。
特に宿を決めていなかったので、安い宿のヒネテーラについて行く。
初日だけ夕飯付きで2泊で25CUC。
「夕飯は何がいい?」ときかれたので、
ランゴスタ(ロブスター)でお願いした。
街を歩いてみる。
トリニダーはキューバの中での有名な観光地なのでちらほら観光客もそのへんに見える。
道は碁盤目状で分かりやすいが、石畳になっていて、サンダルでは歩くのに苦労する。
お土産屋さんがいくつかある中、絵画を売っている店が数店目についた。
デジカメの顔認識が軽く作動するほどリアルなコンパイセグンドの絵や、
葉巻を吸っている人の絵など、
この先長旅でなければ欲しかったものもあった。
昼でも音楽が鳴り響けば、自ずとそこに人は集まる。
人が集まれば、踊る人もいる。
何の不思議さも感じさせない、自然の摂理のようなもの。
配給所にて、安葉巻1本1CUPとタバコ7.6CUPをお土産として買ってみる。
地元民用の薬局ではCONDON(コンドーム)1パック3個入りが1CUPだった。
配給所では私のような外国人でも商品を指差して購入することができました。
クオリティにこだわらず、とにかく安く済ませたければ、各地の配給所はオススメです!
見たことのない国産の商品しかなく、品数もとても少ないです。
台湾の夜市の射的ゲームコーナーに見た目が似ています。
カサに戻り、写真右奥の席で晩飯の前にニュークリア・エイジを読む。
人にもよると思うが、俺はこの旅ではあまり読書をする時間を確保できなかった。
時間があってもどこか近辺をほっつき歩いたりしている。
部屋に戻ると、メモ帳にその日あった出来事や理解できなかった単語、
記憶に残ったこと、そしてその日何にいくら使ったかを一つも漏らすことなく書くよう心がけている。
これぐらいを書いて、あとはその日撮った写真などを日本に戻って見返すと、
いつでもある程度の記憶を呼び起こすことが出来る。
そうすると、どうしても優先順位的に読書は後手に回ってしまう。
理想では、安宿のルーフトップのテラスで日がな一日読書や日記をつけるというのが憧れなのだが。。
何はともあれこのニュークリア・エイジ。
舞台がアメリカを中心に、フロリダやハバナも出てきたので、
今回の旅に適した本ではあったかもしれない。
カサの隣がレストランなので、ChanChanを筆頭にしたBuenaVistaSocialClubの名曲をエンドレスに流しており、
その残響を聞きながら、一人でランゴスタ。
大変美味しくいただきました。
この席の丁度真後ろに1本の巨木がこちらに覆いかぶさるようにして立っているのだが、
ふと上を見ると、葉っぱが茂るあたりをふわふわと2,3匹の蛍が飛んでいた。
この日は葉月も27日(土)なのだが、はて。
地元民の雰囲気から察するに、ロブスターは高級品ではない一般食のような
印象でした。結構チーズやトマト、ピーマンとかと一緒に炒めてあるので、
原型が分かりづらいですが、とても美味しかったです!
手前のはバナナの素揚げ(platano frito)。キューバでは多いです。
部屋で明日の予定などたてながらだらだらしていると、
巨木側に住んでいる住人?が、雨が降ってきた途端、
「iAgua Agua!(水だ水だ!)」と大声で叫んでいた。
俺はビクッとし、ニヤッとした。
散歩帰り、
いつもは開いていたカサの表玄関が閉まっていた。
外で待っていると、道を挟んで向かいの家の子達が家の中で遊んでいた。
しばらく見ていたら、カサのおばちゃんが帰ってきて鍵を開けてくれた。
そういや旅に出たというのに、もうだいぶ英語を喋ってないなぁとふと思った。
朝の7時頃カサを出て、歩いてすぐのバス停へ。
待合室のテレビでこの時やっていた世界陸上ハンマー投げで室伏が現時点トップなのを確認してから、
シエンフエゴス行きのバスに乗車。6CUC
1時間半ぐらいであっという間に到着。
ターミナルには珍しく2階があり、スーパーがあって結構便利だった。
ハバナ行きチケット(20CUC)を買っておき、荷物を預けて(2CUC! カマグエイでは2CUPやったのに。。)セントロへ。
ここも他の街と趣が異なり、建物がどっしりとしていて清潔で、
比較的新しい建物がいくつか見られた。
キューバは街並みによって雰囲気がガラッと変わる印象です。
この後訪れるメキシコはスペイン植民地の雰囲気の街ばかりで、
綺麗は綺麗ですが、あまり変わり映えはしないです。
セントロから少し南へ歩くと海がすぐに見えた。
ちなみにロンプラによると、
もう少し南に行き、海の対岸を眺めると、
計画が頓挫してそのままになっている原子力発電所の銀のドームが見えるらしい。
シエンフエゴスのEl Rapido前で一人の男が2,3人の警察官に尋問を受けていた。
その男の手には大量のお菓子が握られており、
どうも誕生日がどうとか言っていたように聞こえた。
キューバでは電話屋の前がだいたいどこもとても混雑していた。
傍目には誰がUltimo(最後尾)なのかも全くわからない。
ロンプラでは、キューバでは長い列に並ぶこともある為、
¿Quién es el último?(スペ語で誰が最後尾ですか?)と
言いましょうと書いてあったので何度か言いましたが、
全て無視されました。声が小さかったかな?
セントロからバス停まで大した距離じゃなかったので歩いて向かった。
バス出発まで少し時間があったので、気になっていた2階のスーパーに行ってみた。
キューバのスーパーにしては珍しく商品の種類は多かったかもしれない。(いくつかがら空きの棚もあったが。)
あるお菓子の裏を見てみると、中国製だったり、
カップ麺にはベトナム製まであった。
どちらも表向きは資本主義ではない国だ。
たまたまかもしれないが、こういうところにつながりが垣間見えるのが興味深い。
Fiesta Cola(3種類目)。
これはあまり見かけなかった気がした。
後にハバナの売店ではこれのカロリーオフ版などもあったし、
瓶入りの別種のコーラもあった。
いや〜奥が深い。
地域限定のコーラなのかどうなのか分かりませんでしたが、
様々な種類の現地生産コーラがありました。味もそれぞれ結構違います。
本家本元のコカコーラはライバルであるアメリカの物の為、
大体メキシコの輸入品しかなく、売ってたとしても高いです。
中国製のYUTONGのバスに揺られていざハバナへ。
途中幹線沿いのサービスエリアで休憩。
このハバナ-シエンフエゴス間は結構道が凸凹で荒れていた。
少し雨も降っていたし、
運転手は途中の民家で停車して何かの食材を買っていったし。
長距離バスの運転手が急に減速して民家の前に停まり、
民家で牛乳を買って出てきました。笑
日本で言うと、停まる予定のない海老名SAでメロンパンを買ってるみたいな感じでしょうか?
車窓に流れるさとうきび畑を眺めてる間に、いよいよハバナに到着。
到着したバス停はどうやら市街の西の方に位置しているらしく、
道の反対側には動物園があった。
バス停前のタクシーの客引きを振りきり、
小雨だったので東方面の坂を小走りで駆けた。
すると大きな道路にぶつかったのでそこから人に尋ねてどうにかしてP-14のバスでカピトリオ付近に戻ることができた。(0.4CUP)
途中踏切があったが、そこの看板に「ここで写真を撮るな。」と書かれていた。
やはり街並みが他のキューバの街とは違ってぼろい。
もう圧倒的にボロボロである。
部分部分補修工事をしていたりするが、
もうそんなどころの騒ぎではない。崩れるのも時間の問題だ。
カピトリオから再びホアキーナ邸へ。
ホアキーナも俺のことを覚えていてくれて、ベッドも以前より空きがあった。
俺はリビングの隣のベッドが2つしかない(しかも大部屋のベッドより良いベッド)部屋にしてくれた。
先客は前回このカサでお見かけしたチアキさん(♂)。
何とキューバに今回で4回目の大ベテラン。
スペイン語もうまく、ホアキーナと普通に会話しているように見えた。
カサ・デ・ラ・ムシカ(クラブ)を連呼してたのが印象的。
キューバのリピーターが思いのほかいて驚きました。
チアキさんとお喋りしたのち、
一人で近くの華人街のチアキさんおすすめ天壇(Tiendan)飯店へ。
ここの華人街は非常にこじんまりしており、
キューバの食事に飽きたときは日本人の味方になってくれる場所でもある。
ちなみに天壇はこの門をくぐって真っすぐ行った左手。
唐揚げとチャーハンのワンプレートを注文。
6.6CUC。今思うとそんなに安くない。
写真で見るとそうでもないが、結構ボリューミー。唐揚げが多い。
この華人街であまり華人を見なかったが、この店の店主らしき人は華人だった。
別の席で食べている客の足元に、おねだりを誠意ある態度でお座りしている猫が可愛かった。
場所はココ! 天壇飯店(Restaurante Tien tan)
キューバの食事に飽きたら、中華はいつでも日本人にとっては拠り所になってくれます。
ここもそんな場所です。現在はより綺麗に改装していました。
夜のマレコン通り。
宿に戻ると、真っ暗のリビングにはホアキーナとその孫?が一緒にニンテンドーDSをやっている。
ここの家庭は裕福な家庭なのだろう。この孫は前もPCのオンラインゲームをやってたりと毎日ゲーム三昧。
小さい頃の自分を思い出させる。
電気のついたダイニングキッチンには旅人が3人で話をしていた。
そこにはトリニダーにバスが着いた時に見た日本人二人組のカップルがいた。
話を聞くと、どうやらカップルではなく、しかも女性の方は韓国の方だった。
男性のほうは関西弁がどこか俺と近しいイントネーションだなと思うと、和歌山出身の方だった。
2年弱世界を旅しているらしく、
スマートフォンのことは何となく知っていたが、
K-POPに関しては全然知らなかった。
もう一人は女性の方。(たしか看護師だったか。)
たしかその方に、「日本の首相変わったらしいですよ。」と今度は俺が教えられた。
ネットはほぼないし、テレビはほぼ世界陸上なので情報から自然に隔離されていたのだ。 脱しがらみ生活。
彼らと主に旅について夜中まで語り明かしたのも良き想い出。
スマホが出たばっかりの時代ですね。
看護師の方に前夜是非行ってみてといざなわれるままに行ってみた、ムセオ・デ・ショコラテ。
チョコレート博物館という名だが、中はチョコを供するカフェ。
チョコレートを固める色んな形の型の展示物が置かれており、
そこに一緒に席が置かれている。
隣がチョコレート販売所で、またそこと反対の客席の奥側ではチョコレートをアクリル越しに作っていた。
ふむ、だからこれほどまでに室内を涼しくしているのかと何となく納得。(だいぶ寒かった)
場所はココ! ムセオデショコラテ(Museo del chocolate)
ハバナを訪れるのであれば、ここは私の中では一番おすすめな場所です!
理由は2点。
・常に暑いキューバではエアコンなしか、中途半端なエアコンしか効いていない所が多いが、ここは別格に涼しい
・クオリティの非常に高い(おそらく)現地産のチョコレートがお手頃に味わえる
寒いのでメニューにあるCup of Traditional Hot Chocolate(0.55CUC)を注文。
いわゆる飲むチョコレート。
とても甘くて美味しかった。つけあわせの何だかわからない脆いクッキーも美味しい。
あまりに快適で、幾分身体も温まったので冷たい飲むチョコレート(0.8CUC)も注文。
身体の温度がプラマイゼロになったところで再び灼熱の外へ。
どちらも非常に美味しかったです!
昼飯はチアキさんと一緒にカサ近くの安食堂へ。
ここはカサにある日本語の情報ノートにも紹介されていた。
行ってみると店内は立って利用する壁伝いの細いテーブルだけ。
多くの人たちはテイクアウトして食べるのか。
とりあえずおすすめのLomo de Ahumanというものを。(20CUP)
出てきたのはワンプレートにぶ厚めのお肉2枚に里芋2個、味のついたチャーハンのようなご飯。
これで20CUPなら十分。
味も満足できた。
具体的な場所は失念しましたが、ホアキーナの家の
裏手の方の一角にあります。狭い立ち食いの店内があります。
フロリディータを入って左手に見える、ヘミングウェイのいつもの席。
私はお酒を一滴も飲まないので、パッと入って、
サッと撮って出てきました。
情報ノートに、SWATCHのゲバラ仕様のものがオビスボ通りの時計屋にあると書かれていた。
しかし最近のページを見るとどうもその時計が見当たらないらしく、
その真相を確かめるためにオビスポ通りへ。
通りに入ってすぐ右手にある時計屋へ。
中は狭く、全ての腕時計を見るのにそんなに時間は費やさない。
そこには無く、諦めてオビスポ沿いということだけを頼りに他の時計屋っぽい所も見てみるが無い。
時計屋さんというのはやはり最初のところしか見当たらなかったので、
再び訪れ、手っ取り早く「ゲバラのSWATCHありますか?」と尋ねる。
すると、「あぁあるよ。」とレジの下からあっさり出してくれた。
えぇ〜〜。 何か客から守らなければならない理由があったのだろうか。
そこまできくスペイン語のスキルもないので、写真だけありがたく撮らせてもらった。ちなみに53.5CUC。
かっこよかったら買ってもよかったのだが、かっこよくはなかった。
色的に子ども用に見えた。
今でもメルカリで売ってたりします。笑
晩飯。カヒータと呼ばれるお弁当と空き缶を切った型で作ったプリンをデザートに。
20CUP+5CUP。
チアキさんとの相部屋。
クーラーも付いて快適だが、たまに蚊がいた。
翌朝。お世話になったホアキーナ(左)と知らない人。
とても親切でした。ムーチョスグラシアス!
ホアキーナは以前ハバナ大学の先生をやっており、
博学なんだそう。
看護師の方と便が同じだったので一緒に空港まで。
ローカルバスに乗って最後まで節約。
前に座った少年がテニスの錦織みたいないい笑顔だったのでアメをあげた。
しばらく乗っているとおそらく空港近くの集合アパートの密集地帯に入っていく。
乗客に空港の方角を聞き、
大通りでバスを降りてそこからは一本道を少し歩いた。
飛行機の時間もだいぶ余裕を見てカサを出たのでそんなに焦ることなく空港に到着。
しかし相手はクバーナ航空。
定評通りのdelayでお昼発だったのが18時発に。
部外者なのでクバーナ航空について多くのことを知らないが、
他の世界の航空会社に比べて航続距離も短いし、
便も少ないし、やるべきことは限られているはずなのに、
どうしてこんなハバナ-カンクン間程度の短距離フライトに時間がかかるのか。
部品の欠損や天候とか色々あるんだろうから口出しはできないけどね、部外者の乗客だから。
バスを降りてから少し歩いた、と書きましたが、
実際は車道を歩いて、空港にたどり着きました。
路線バスで直接空港へ行けるルートは当時おそらくなかったんです。
さらにこのホセ・マルティ空港。
キューバの国際玄関口であるはずなのに、
雨漏りは所々でしていて床は滑る、
トイレの水や洗面台まで水は流れない。
よその国民ながらこんなんで大丈夫なのかと心配になる。
たとえそれが仮に単なる整備の怠惰であったとしても、
「キューバはお金もモノもないからねぇ。」と言われてしまえばこっちとしては何も言えなくなる。
そんなことを考えながら飛行機の遅延を待つ。
何せ時間はたっぷりある。
空港のアライビングゲートから見える中2階のような所にあるちょっとしたお土産屋にもゲバラのSWATCHが2つほどあった。
オビスポのほうがほんの少し安かった。
ひと通り中のお土産屋も見終わり、残金を確認すると、
思いのほかCUPが余ってしまったことに気づく。
それでもゲバラの3CUPコインを開始早々手に入れ、
実は3CUPのゲバラ紙幣もこの前日手に入れた。
オビスポ通りの右手にある、キューバ人と観光客で賑わっている路上のペソアイスクリーム屋さん、
ここでアイスを買うと、お兄さんがお釣りを出し入れしている机の引き出しに3CUPの赤いゲバラ紙幣が覗いていた。
「お釣りをその紙幣でくれないかな?」と尋ねると、快くくれた。
この旅で全く拝見してこなかったので嬉しかった。
旅行中はCUCでの支払い場面が多く、
配給所とか地元民が大勢利用するような所でしか
CUPは使わなかったので、こんな所で発見してラッキーでした。
このキューバの旅の10日間、
俺の場合は幸か不幸かほとんど旅人に会わなかったので、
自分の好きなように行動し、意志の赴くままに旅をした。
時に理不尽な出来事にクソ腹が立ったこともあったが、
その発生時をピークとして時が立つごとに、思い出しても腹が立たなくなるものだと思うようにしている。
看護師の方と話しながらボーディングゲートで並んでいると、
前に並んでいた3人家族の父のパスポートのページがふと見えた。
ページごとに絵柄が違っていてカッコ良かったので、
「どこの国の方ですか?」と尋ねると、
「アメリカさ。」と久々の流暢な英語で言われた。
「君等は日本人かい? 俺の親戚はオキナワで働いているんだ。」
話を聞きながら、この人たちはなぜこの国に入国できているのだろうかという疑問が頭を離れなかった。
軍関係の人なのだろうか。
様々なキューバへの疑問は解決されぬままに、一路カンクンへと戻った。
はい、というわけでキューバ編は以上になります。
毎夜毎夜の深夜バスの強行軍でよくも移動したな、という感じが自分でもしますが、
キューバはこれまで、そしてこれから行く国とはシステムやルールがまるっきり異なっており、
面白い反面、非常に複雑で不便な部分も多いです。
現在は二重通貨制度が廃止になっているので、おそらくですが、
お釣りを現在使用していない通貨で渡されたりするようなことも起こり得ます。
基本的に非常に平和な国ですが、やはり日本人はアジア人で彼らとは見た目が違います。
見た目が違うと、やはりいい意味でも悪い意味でも目立つので、キューバに渡航の際は行動には十分に注意してください。
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