どうも、Ryuです!
まず初めにトップ画像はなんかむさ苦しくてすみません。
今のところ続いているブログの過去の旅行記シリーズですが、
個人的に昔のものをひっくり返してきて、それに追記して改訂版にしているので、
過去のことを思い出したりして面白い部分もあるのですが、
閲覧数がなかなか伸びていかないので、需要ないのかな〜と思わなくもないです。笑
まぁ旅行記以外もどっこいどっこいですが。。笑
しかし、過去のストックものから、現在に至るまでは何とか文に残せればと思うので、
めげずにやっていきます!!
友人の天川さんとルーマニアの駅で別れ、再び一人旅でトルコになります。
たっぷりとトルコを堪能してきました!
2010/09/08 – 09/16 トルコの旅
トルコ編です。
この旅をギリシャから始めたのは、
アジアからヨーロッパに入るのではなく、
ヨーロッパからアジアに入るとアジア人はどういった印象を受けるのか試したかった。
故郷の原風景のような絵をそこに見るのか、
それともまだまだ異国の感は拭えないか、
大きくアジアという名前で呼ばれるからにはそれなりの理由があるのだろうか、
その前にトルコはアジアなのだろうか、
いくつもの疑問が、旅に出る前に、
そしてブカレストからの寝台列車の中でも去来した。
大きなテーマを抱えて旅をするのは非常に難しい。
「若者らしく感受性豊かに、
色んなことにいちいち感動しよう。」
こんなテーマでもいい。
あまり難しく考えないということもあるいは大切なのかもしれない。
トルコは噂どおり、親日国家だった。
見るべきものも多く、移動もしやすいので、
日本人にとっても観光しやすいと思う。
国全体では、厳格なイスラム教国家ではないので、
あまり不便は感じなかったし、1日5,6回スピーカーから流れるアザーンも、むしろ心地よく受けとめられた。
トルコでの目標は、
世界遺産、サイクリング、世界三大料理の理由を探るでした。
寝台列車。
ブカレストからブルガリアに入り、
ヴェリコタルノヴォを通り、
21:20 スタラザゴラ。
本には名前が載っているだけで紹介はされていないが、
一瞬ソフィアに戻ってきたのかと思うほど発展していた。
ここでブルガリア人女性3人組がコンパートメントに入ってきてがやがや喋りだす。
次に止まったディミトロフグラッドで降りていったが、
ここの停車時間がまた長い。
接続の問題だかなんだかで、1時間くらい停車。
駅には特に何もなく、構内にある小さい小屋ではTVで連ドラみたいなのをみながら、おじさん2人が一杯やっていた。
駅の外は何もなく、
というか木が生い茂りすぎて何も見えない。
圧倒的に暗く、オレンジの外灯が構内をポツポツと照らすだけである。
こういうシーンを少しでも写真や動画に撮っておければといつも後悔します。
でも実際その時はまさかその場面がこんなにも後になって心に残るとは思わ
なかったりするので、難しいですね。
しかしそれでも電車は走り出し、
ふと目覚めると、車窓の流れが遅くなっているのに気付く。
まだ外は暗い。
景色を見ると、長いフェンスがゆっくり流れている。
しばらくして電車は止まり、パスポートチェックだ。
ここはトルコのKAPIKULEという場所。
降りてみると、イミグレに行列が出来ていた。
並んでいると、どこかから関西弁が聞こえてくる。
前のほうに学生風情の男二人がいた。
こんな時間のこんな場所に日本人もいるもんだなと思い、挨拶だけ交わした。
自分の番になり、パスポートを渡すと、
「Oh〜 Japan! Very nice!」と言われ、
すぐにスタンプを押され返してもらう。
そこにアメリカ人やらイギリス人やらが溜まっていたが、
どうやら彼らはビザ代をとられたらしく、
ファックばかり言っていた。
つくづく先人の努力の恩恵を受けているなと実感した。
みんなこの際と、駅併設の免税店でタバコを買い込んでその場でプカプカしている。
客席に戻ると、背の高いセルビア人二人組が入ってくる。
彼らはイスタンブールにバスケのワールドカップを見に行くと言う。
そういやギリシャ(サッカーと共にバスケも強い)でもサッカーとバスケがTVでやっていたが、あれはワールドカップだったのか。
彼らと一緒に就寝する。
電車の汽笛で目覚めさせられると、
久々だ。海が見える。 テッサロニキ以来か。
朝日に輝くマルマラ海。
両側の客室も、欧米の若者ばかりで、みんな疲れで憔悴していた。
電車はアガサクリスティのオリエント急行で有名な、ヨーロッパの終着駅、スィルケジ駅に到着。
10:20。
ここから歩いて、安宿のあるスルタン・アフメット地区に行く。
イスタンブールは今まで訪れた場所で1番の世界的観光地らしく、
観光客ですでにあふれていた。
バスケ効果もおそらく寄与しているのだろう。
少しだけトルコリラに両替し、イスタンブールホステルに泊まる。
ドミ20リラ。(約1200円)
ストリートビューで確認したところ、このホステルも屋号が変わったのち、
廃業しているようです。この宿で初めてwifiの存在を知りました。笑
宿でこれからチェックアウトする日本人にあった。
この人はこれからイエメンに行くらしく、少しおびえていると自分で言っていた。
グランドバザール近くの日本人宿、Tree of lifeが有名宿だということを教えてもらう。
歩き方にも地図には載っているが、紹介は少し前になくなったらしい。
この人も関西弁だったのだが、海外で出会う日本人の多くが関西弁だと思うのは俺だけだろうか。
俺もその一端を担っているので人のことを言えないが、標準語よりもよく聞く気がする。
トプカプ宮殿は高いから入らなかったが、入り口まで行ったら、
むちゃくちゃ背の高い中国人二人組が入って行った。
本当に大きい。手に持つデジカメが異様に小さい。
おそらくバスケ選手、それももしかするとあのヤオ・ミンかもしれない。
ギリシャ並みに暑い日差しの中、グランドバザールへと歩く。
グランドバザールは、安く買い物が出来る場所ではなく、もはや観光地と化している。
見る分には楽しいが、あまり安く買えると思っては行かないほうがいいかもしれない。
「ヤクザヤクザ。」
「ばざーるでござーる。」(俺が幼稚園のころやっていたCMだ。)
「そんなの関係ねぇ。」
と、日本人用の客引き言葉が飛び交う。
中は迷路のようで、物によりセクションがある。
俺はわざと色んなところを見ようとわざと自分を迷わせた。
本当に迷ってしまい、絨毯屋の親父がチャイ屋から手招きしていたので休憩することに。
チャイを注文。 特徴的なひょうたん型のグラスに金属のコースター、スプーンに、その上に角砂糖2個というのが一般的。
これが何とも言えないある種の中毒性があり、何杯もいってしまう。
トルコとチャイは(観光客にとっても)切っても切り離せないもので、
1日10杯近く飲む人もいるそう。
俺も1日5杯前後飲んでしまっていた。
たまにエルマチャユ(あったかいりんごジュース)も飲んだが、やはりチャイに落ち着いてしまう。
インドでもそうだったが、アジアはチャイに包まれている。
再びイスタンブールに戻ってくるので、買い物はそのときにすることにする。
ドンドゥルマ(トルコアイス)を発見した。
店員さんのパフォーマンスが見ていて楽しい。
どうでもいい話だが、天川さんはソフィアからトランジットでイスタンに一泊し、
そのときにアイスを食べたが、ぼられたという。
ここまでくると、ぼられるための何か技術を持っていると疑ってもいいかもしれない。
ドンドゥルマ。4リラ。
トルコ人に聞くと、この日はラマダーン最終日らしく、明日からシェケル・バイラム(砂糖祭り)という祝日が3日間ほどあるらしく、
国内は大混雑になるらしい。
これはまずいことになりそうだ。
ガラタ橋。
本当に釣りをしている人がたくさんいた。
開高健もしたんだろうか。
ガラタ橋下の様子。
ここの名物といえばサバサンド。
その名の通りサバをトルコのパン、エキメッキで挟んだもの。
イエメンに行くといって別れた日本人が、
「サバサンドは4リラ5リラがあるが、3リラを目指せ。」
と助言をくれたので探してみると、3があった。
サバサンドとチャイで4リラ。
レモンを自分で絞って食べる。
マイナス要素がなく、おいしい。
エキメッキが手に入れば、日本でも簡単に作れそうだ。
それにしてもチャイは何にでも合う。
地下宮殿はひんやりして気持ちいい。
溜まっている水には魚が泳いでいた。
地下宮殿入り口付近でトルコ人男性に声をかけられ、話していると
彼の親戚が新宿の歌舞伎町手前のパムッカレというトルコレストランを
やっていると言ってました。気のいいお父さんという感じの人でしたね。
ビザンツ建築の最高傑作、アヤソフィア。
中は広く、フラッシュは禁止だと散々看板に書いてあるのに、
日本人(あるいは中国人か韓国人か)の団体が、『赤信号 みんなで渡れば 怖くない』の理論で、おかまいなしに撮っていた。
それでも日本人の評価が高いのが情けなくなった。
名誉に伴わない現実。
年配者だから許されると思うなよ、
そう思いながらフラッシュOFFで写真を撮った。
トルコ版コーラ。 Cola Turka
道に観光バスがぞくぞくと止まり、ぞろぞろと団体客が降りてくる。
ラマダーン最終日なので、トルコ人も多い。
アヤソフィアとブルーモスク(スルタンアフメットジャーミィ)の間にあるシートで佇んでいると、
トルコ人がとりかわりタバコやチャイを勧めてくる。
最初は断っていたが、面倒なので受け入れることにした。
向こうの考え方としては、男ならタバコを誰でも吸うし、ある種コミュニケーションツールのひとつと捉えているようだ。
大体マルボロだったが、話していると、
「この辺の観光地の食べ物やお土産は新市街のタクスィムと比べるとダブルプライスだ。」
「今日は最後のラマダーンだ。タクシーにも乗せてやるからタクスィムで飲もうぜ。」
この2点を全員が強調する。
歩き方にはタクスィムでのぼったくりトラブル集がいくつか綴ってあったので、
内心話を聞きながら「まさにこれだ。」と笑っていたが、
向こうはやっきになっていた。
もちろんまじめに誘ってくれている人もいるのだろうが、
ここは遠慮したほうが無難だ。
アヤソフィアとブルーモスクの周囲は上記のような怪しい勧誘があるので要注意!
また近辺に店舗を構えた、一見ちゃんとしてそうな国内ツアー会社みたいなところも、
ツアー料金がUSD700~800と結構高額だったり、とあんまり信用できないのかな、と
個人的には思います。
トルコの歌手か何かだろうか。
ブルーモスクをバックに歌い、テレビ局のクレーンカメラまで来ている。
よく分からないが、夕涼みがてらチャイを飲みながら鑑賞。
ブルーモスクの中。
日々訪れる人々の多さを示すように、
絨毯が湿り気を帯びて少しかび臭かった。
室内には柵があり、その奥では敬虔な信者が熱心に祈っていた。
俺は全然信者ではないが、中にいると心が静まり、目を閉じると寝てしまいそうになる。
毎日ひたすら歩き、疲れが溜まっていたのだろう。
エキメッキとチャイで晩飯を済ませ、
宿に戻ると、自分の2段ベッドの上に日本人女性がいたので海外特有の日本人の挨拶を交わす。
彼女はマリさん。
ウズベキ→トルコ→シリア→イスラエルの旅の途中だという。
マリさんはインドに1年間留学していて、
英語もうまいし、多くのハプニングにもおそらく慣れているだろう。
宿のスタッフがくれたスイカを食べながら、中庭でしばらく話をした。
マリさんもパムッカレ、カッパドキアに行くらしく、
一緒に行くことに。
明日バスでパムッカレへ。
イエメンやシリアなど、現在では容易に観光できなさそうな場所ですが、
この当時は普通に観光している人がいましたね。私も行っておけばよかったです。。
マリさんとエセンレルオトガルまでパムッカレ行きのチケットを買いに行った。
丁度ラマダーン明けの祝日シェケルバイラムが迫っており、
満席でどうしようもなくなる前に、エセンレルという長距離バスターミナルへ
行き、先にチケットだけ買っておいたのです。
帰りにヴァレンス水道橋に立ち寄る。
水道橋のアーチが今の車よりも小さければ、この橋は壊されていたのだろうか。
車が丁度いい具合に通っている。
この場所から、グランドバザールまで歩いてみた。
生憎今日はシェケルバイラム初日で、グランドバザールはおろか、多くのお店は休みで、
歩いて帰ろうとしたところ、
「りゅうちゃ〜ん。」
誰かが俺の名を呼んでいる・・
・・日本語?
振り返ると、何とブルガリアのソフィアで会ったあのたっちゃんだった!
彼があの後トルコに行くことは知っていたが、
時期は知らず、まさかこんなグランドバザール裏の狭い路地で会うとは。。
昨夜マリさんと話していて、今東京に住んでいる場所がすごく近くて、
世界は狭いなと思ったばかりだったが、
この日も世界は狭いなと思わずにはいられなかった。
丁度グランドバザールの手前でマリさんとお別れし、すぐにまさかのたっちゃんと再会!!笑
ブルガリアでもそうだったが、ある人と会っているときには
また別の人と重なっては会わず、きちんと順番に会っていたのはなぜなんでしょうか??
例えば、意図してこの国でたっちゃんと会う確率と、
たっちゃんとどこかの国で会う確率とはまた違う。
いくらかさらにムサくるしい格好になったたっちゃんだが、
あの後OGさんとたっちゃんはルーマニアのブラン城にも行き、
道中、「何であんな年下の子と晩飯を割り勘したんだ?」と話をしていたらしく、
もし万が一会う場合はご馳走してやろうというありがたい決定が下されていた。
ってことで昼飯をご馳走してもらった。
彼はこの日にドバイ経由で帰るらしく、
「じゃあ僕ドバイの歩き方持ってるんで、宿から持ってきますよ。」と言って宿に行くと、
何とたっちゃんと同じ宿だった。 しかも同じドミトリーの大部屋。
これにはどちらも大爆笑した。
どうも会うべくして会ったらしい。
暑かったので、トルコ名物ハマムに行く。
本には高い場所ばかり載っていたが、コジャムスタファパシャハマムという遠い場所まで行くことに。
トラムの駅、アクサライからハマムまで歩いて行ったのが失敗で、
1時間ほどさまよってようやく発見。
どちらもくたくただったが、観光地から離れているので、人は少ないし、飲み物は安かったのでよかった。
ハマムの中。
マッサージやらスペシャルマッサージやらいくつかオプションがあったが、
ケチって13リラの安いのにすることに。
たくさんある個室の更衣室の一つを使い、腰に赤いバスタオルを巻いてムシムシする大理石の部屋へ。
俺ら以外に誰も客はおらず、
やがて入ってきた垢すり親父に体を泡まみれにされ、予想以上に軽く垢すりをされ終了。
こんなもんか。
そう思いながら個室に戻って着替え、
風呂上りのコーヒー牛乳ならぬ、炭酸ジュースを飲んでいると、
がらがらを引きながら入ってくる1人の日本人女性。名前はワカちゃん。
こんなものめずらしいとこに来る日本人は案外いるものだ。
今日は祝日で女のケセジ(垢すり)さんはいないらしく、
ワカちゃんは落胆していた。
場所はココ! コジャムスタファパシャ・ハマム(Kocamustafapasa Hamami)
今も絶賛営業中です。行き方はタクシーが賢明かと思いますが、
電車やトラムで近くまで行くことも可能です。
観光地から外れているので、ローカルな雰囲気の中、安くハマムを体験したい人におすすめです!
一緒に国鉄でスィルケジ駅に行き、
駅前のマックでお茶。
ワカちゃんはこれからカッパドキアに行くらしい。
何はともあれ、
この3人の別れは近づいてきた。
ワカちゃんと別れ、宿でたっちゃんと別れる。
こうなってくると、別れようが別れまいが、決して会えなくなるという気はしなくなってきてしまった。
今日は行動しまくったというマリさんと再び合流し、
エセンレルオトガルまで行く。
途中の車窓でIKEAを見たのが懐かしい。
トルコのバス。
トルコはバス天国で、バス会社が非常に多い。
全国区のMETRO(名前が地下鉄のようで最初はややこしい)はそういやソフィアのバス停でもロゴを見たなぁ。
今回はパムッカレ社を利用。
車種は多くの場合ベンツの大型バスで、車内はこれまた飛行機顔負けの各座席TV付き。
しかも走行中世話係が一人一人にコロンヤ(香水+アルコール消毒のようなもの)をふるまい、
ネスカフェやチャイ、軽い軽食も付く。
日本の夜行バスよりも快適とはまいった。
国内の鉄道網があまり発達していないトルコでの移動は主にバス。
ただ車内でのサービスは飛行機並みでビックリです!
パムッカレ行き途中で降りたどこかのサービスエリア。
俺はこう見えても日本でもサービスエリア、パーキングエリアマニアでもあるので、
当然止まったからには中を物色。
お土産もあるし、レストランもあるし、トイレもある。
普通のサービスエリアといった感じ。
ただ何時出発か分からないので、迂闊にご飯が食べられない。
バスも結構止まっており、
そのバスを丹念に水とモップで洗う人、
なかば強制的に車体を洗ってその御代を頂いていた。
車を勝手にぴかぴかにされて怒る人もなかなかいないと思うので、うまい商売だなと思った。
外は真夜中で寒いのでバスに戻った。
あれは何時ごろだろう。
乗客が寝静まったころ、
おそらくドライバーと俺しか起きてないのではないかと思われたころ、
ふと窓から空を眺めてみると、
バスの中からでも分かるほどの星空。
日本の5等星が4等星に、1等星が0等星ぐらいに見えた。
周りが荒れた高原のようで、
バスの小型TVからEric ClaptonのTears in heavenや、Brenda LeeのAll alone am Iを聞きながら空を眺めていると、
やがて自分の目の視点が、宇宙から俯瞰した映像に切り替わり、
トルコの広い国土を真夜中に移動する一つの点である俺を追った映像に切り替わる。
なぜこんな場所にいるのだろう。
逆になぜこんな場所にいたら駄目なのだろう。
幾つもの自分が一つの頭の中で議論をする中、
再びまぶたを閉じてみた。
約10時間で、パムッカレへの拠点となるデニズリに到着。
あまりに快適すぎて、欲を言えばもっと乗っていたかったが、
先に今日の夜中向かう(極めて強行軍だ。)カッパドキア行きのチケットを買い、
大きい荷物を預け、
ドルムシュという小さい乗り合いバスで向かう。
パムッカレは小さい村で、ところどころに日本語、韓国語が目立つ。
入場料20リラは高かった。
日が昇るにつれて気温は上昇し、
またパムッカレは地面が真っ白で、スキー場のように照り返しが強く、
冗談じゃなく暑い。
朝早く来ると観光客はまだそれほどいない。
日中はうんざりするほどいた。
目の前の欧米人のように、パンツ1丁になる。
石灰の真っ白いドロが肌にいいらしい。
以前はここに行けたらしいが、
湯量が少なくなり、
汚くなってきたので行けなかった。
昔のイッテQで森山中が入ってました。
おそらくそれも日本人に人気な理由の一つでしょう。
パムッカレの裏には遺跡、ヒエラポリスがある。
ギリシャのデルフィとどことなく似ていたが、
異彩を放った遺跡温泉があった。
水没した遺跡の上を泳ぐプールみたいな温泉でした。(下画像参照)
温度は生ぬるい感じ。
ここだけ確か別料金で、その他の遺跡は石灰棚と同じ入場券で入れました。
バスまで時間があるので、
わいわい聞こえていたところに入ってみると、
昼間から親父たちがオケイと呼ばれる麻雀のようなものや、トランプをやって一喜一憂していた。
チャイとエルマチャユで一息。
再びドルムシュでデニズリに行き、
マリさんを待ちつつ、敷地内のショッピングモールを見て周る。
スーパーでトルコのスープチョルバスのクノールやお菓子などを購入。
どこの国でもスーパーのほうがキオスクより安い。
外のベンチに座って、トルコ人としばらく話をした。
彼はアメリカで働いているらしく、シェケルバイラムでトルコに帰ってきているらしい。 名前はヌーマン。
マリさんとも合流し、バスまでの間、エキメッキとチャイをご馳走になった。 テシェッキュレデリム(ありがとう)。
食べきることの出来なかったエキメッキを持ち帰り、
弾丸でカッパドキアへ。
ローカルの人に本当に良くしてもらいました。
なかなか東京にいても同じようなことを逆の立場で出来ないのですが、
常に心がけておきます!
人がとても優しかったので、順調に旅を進めることができましたね。
ただこの後、ラマダーン明けの祝日の影響を知ることになります。。
次回に続きます。
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