インド編その2になります。
初日、2日目とインドというダイナミズムから衝撃を受け、
終始圧倒されていました。
ただ日が経つにつれて、段々とその刺激を楽しめるようになっていきます。
この旅ではデジカメと、Panasonicのビデオカメラも持って行っていました。
結局そんな大した映像は撮ってないのですが、
その時のインドの雰囲気は残っているので、またそういうのも
ご紹介できたらと思います。
2009/10/27 – 2009/11/08 インドの旅
旅行記
屋上のレストランで食べたバターチキンカレーとライスとヨーグルトラッシー。190ルピー。
そういやこないだの旅猿でも出川と東野がここでバナナ食べてましたね。
写真だと少なく見えますが、暑い国に行くと食欲がなくなるので、これで十分なんです。
本当はもっと食を堪能したいんですけどね。折角なんで。
朝はjohny’s placeでバナナラッシーとオムライス、60ルピー。
改めて思うが、普通の飯が普通に松屋より安いというのが物価っていうものなんですよね。
この後、宿の下のインターネットカフェでネットをしましたね。結局日本語のIMEをいじっているうちに結構時間を使ってしまうのがあるあるでした。笑
今ではもう廃れてしまいましたね。。
アーグラーカント駅でバラナシ行きの夜行チケットを買いに駅へ。
構内で見かけた本屋。
一番安いチケットで620ルピーでした。
意外に安くない。。
まだ大学生気分がマンマンの頃です。
この時は暑いのは暑いのですが、乾季のためか乾燥しており、
日本からこじらせていた喉の痛みがピークでした。
名もなきレストランで昼食。
plain curdとカレー。 75ルピー。
駅の待合室で、近くに座ったイタリア人のアレッサンドロとおしゃべり。
彼はインドに留学中で言語を勉強しているらしいが、すごく退屈らしい。
そして彼は何とヒキコモリという日本語をなぜか知っていた。。
こういう他愛もない会話を何時間もしていた。
ところでこの待合室だが、普通は一等の人しか入れず、
入り口で退屈そうに椅子に座っているおっさんに見せなければならないが、
外国人はほぼフリーパスらしい。。
周りのインド人もある程度の財力を持ってそうな人たちばかりだった。
イタリア人に相手してもらったり、またはケーララ州というインド南部に向かうインド人からは
砂糖をまぶした黄色い激甘寒天ゼリーをもらったりと、優しくしてもらいました。
プラットホーム。
線路内はこの世のものとは思えない汚さ。
ごみ捨て放題、唾はき放題で鼠出放題。
線路をちょっと見ているだけで、ネズミがうろうろしていて、
いやぁ、半端じゃないですね。。手加減なしのインド。
アレッサンドロ。
いまさらながらビスケットおごってくれてありがとう。
エルヴィス・コステロ似の彼は元気に暮らしているでしょうか。
電車に乗り、自分の席は三段の寝台の一番上段。 よしっ!
でもみんな寝ようという空気になるまでベッドは作らずにしばし車窓に揺られる。
時々鳴り響く「プーーーーッ。」という甲高く長い警笛。
どこか旅情があっていいじゃないか。
そんななか、たまたま前に座ったオーストリア人と会話。
名前はジョン。 でもほんまはヨハンヌやけどね、みたいなことを言ってた。
なるほど、スペインでいうホセ→ペペ みたいなことか。
彼もバラナシだと言う。
ここで会ったのも何かの縁という感じに、
電車外から窓越しに寄ってくる様々な売り子の中からチャイ屋を見つけ、
チャイをご馳走に。
何か毎回おごってもらってばっかで嬉しい反面悔しい。
そうこうしているうちに、そろそろ寝よかみたいな雰囲気になり、
ベッドの上段へ。
結構上がるのもきつい。
そして窓全開で寒いながらもいつの間にか就寝。
ふと起きると、電車はラクナウでストップしている。
ジョンは下で新聞を読んでいる。
外ではインド人が木の枝で歯磨きしている。
これが朝の6時ごろで、着いたのがたしか昼の2時前後。
俺はまだ若い方だが、若いなりにやはり少しは身にこたえた。
写真は電車で食べた朝食の注文弁当35ルピー。
右上のさつま揚げみたいなチャパティが抜群にうまかった。
インドで寝台車にチャレンジする場合は、やはり定石通り最上段がオススメです。
なぜなら、下段はみんなが座っている椅子で汚く、夜遅くまで座られたらたまったもんじゃないし、泥棒にも狙われやすい。中段はまだマシだが、それでも最上段よりは置き引きのリスクが高そうだからです。でも最上段のデメリットは車窓が見づらいのです。。
バラナシに着き、
ジョンと一緒に宿を探し、
泊まったのがビシュヌゲストハウス。
ベンガリートラの南のほうにある。
ここに居を構え早速散策。
宿の屋上のレストランから撮影。
バラナシでは小さい凧揚げが流行っているようで、
いつもひらひら空に飛んでいる。
日本も含め、世界の数多のバックパッカーが逗留した地、バラナシ(ベナレス)です。
現在まで色々な国の街を訪れましたが、ここまで退廃的な雰囲気の空気は感じたことがありません。人々の活気はすごくあるのですが、何というか、たかだか一人の人間の人生80年そこそこでは到底理解し尽くせないような歴史が何層にも重なった、そんな複雑な街でした。
ジョンとインド人C。
これから毎夜開催の礼拝(プージャー)をボートから見学。
プージャー風景。
お客の数も陸とボートとすごい。
帰るときに軽くボートを漕がせてもらった。
朝早く起きてガンガーのサンライズを見ようと朝五時にジョンと再びボートに。
前日、そろそろ寝ようと小説を読みながら寝転がっていると、
ベッドの端にねずみが顔を出していました。。
最悪や。
それからは当然のように寝れず、
窓がぶっ壊れていて鼠が入り放題で散々でした。
なんか部屋の壁の隅に小さい穴が空いているなと思っていました。
まさかネズミが通る穴とは思ってませんでした。
窓も完全に閉まらなかったので、もうお手上げでした。
マニカルニカー・ガート。
ボートからは撮っていいって船頭さんが。
結局ガンジス河では泳がずじまいでしたが、
船頭さんがペットボトルに河の水を汲んで、頭にぶっかけてきました。
ボリウッドの映画かな?
失礼やけどあんまおもしろそうじゃない。
いや、今はとても面白そうだと思う 笑
昔と感性が変わったか?
たまたまこの日はディワーリーという祭日で、
ガート沿いにはろうそくが並べられて幻想的だった。
宿に戻っても花火がバンバン鳴り響き、夜中まで爆音で音楽が流れていました。
Diwaliをこの時初めて知ったので、24時間騒がしいことに納得がいった。
通常時もうるさそうな気はするが。
店主の親父と、その息子兄弟が切り盛りする宿。
鼠は厄介だったが、ルーフトップのレストランも彼ら自身が腕を振るっており、
忙しそうにしていた。1階のPCも有料で使用可能だった。
場所はココ! ビシュヌゲストハウス(Vishnu guest house)
と、いきたいところでしたが、結構時間をかけて調べたのですが、場所が特定できませんでした。。
この辺りはあまりに安宿が多く、入れ替わり立ち替わりで、名前も変えたりするので、
分かりませんでした。ベンガリートラ通りの南あたりなのは多分確かだと思います。
また判明しましたら追記します。
ジョンとインドのガラムっていうボードゲームをしました。
日本のおはじきみたいな感じかな。
インド発祥のボードゲーム版ビリヤード! キャロム(CARROM)
ざっくりとしたルールは、2種類のメンコのようなもののうち、自分の色を
4隅の穴どれかに全て落とせば勝ち! というほぼビリヤードみたいなボードゲーム。
キューも要らず、ただデコピンの要領で弾くだけでokです。
インド系の人にとても人気があることが窺えます。にしてもめちゃめちゃ上手くてビビります。
この日に俺はジャイプルに行くんでジョンとお別れ。
バイバイジョン。
一緒に数日間バラナシをふらふらしたり、宿のルーフトップでご飯食べながら、
キャロムしながら、おしゃべりしてもらいました。宿の親父に、近くの大学にも
一緒に見学させてもらったんやったかな。 彼も今は元気だろうか。ありがとう。
次はジャイプルというラージャスタン州へ。インド編その3に続く。
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