どうも、Ryuです!
トルコ編の続きになります。
前回のパムッカレでは宿泊せず、夜行バスでそのまま移動という、
体力たっぷりという感じで時間の流れを感じますね。笑
2010/09/08 – 09/16 トルコの旅
またもや素晴らしく快適なバスで爆睡し、
ネブシェヒルに到着。
ここからセルヴィスという無料タクシーでギョレメというカッパドキア観光拠点へ。
景色が段々とスターウォーズの砂漠のようになってくる。
奇妙な岩がにょきにょきと生えていて、その中をくりぬいて人が生活している。
人が想像することは必ず人が実現できる、とジュールヴェルヌは言ったが、
たしかにその通りのように思われる景色だ。
気球がいっぱい飛んでいて美しい。
連絡先を交換しなかったのですが、
今も元気にいらっしゃったら幸いです。
全ての洞窟住居がオンリーワンで、
その全てに見入ってしまう。
トラベラーズケイブペンションを宿にする。 ドミ14リラ。
ここは日本人が多く、初めて本格的な情報ノートを見た。
オーナーもいい意味で日本人慣れしている。
最近はザ日本人宿みたいなところにお邪魔していないので見ていないですが、
有名な安宿には情報ノートという長年受け継がれてきているボロボロのノートがあります。
中身はその国を安く旅する上での注意事項から、空港に行く安いバスの停留所の場所や、安くて美味しい飯屋などのピンポイント情報、周辺国の情報やとても詳細な手書き地図など、インターネット普及前は今よりすごく重宝したと思います。たまに英語のものや韓国語のものも見ます。
場所はココ! Travellers Cave Pension
現在は名前がCave Live Hotel となっておりますが、多分この宿だと思います。
コモンスペースの窓みたいなのが特徴的で見覚えがあります。
ちらっと周囲の宿を見てみましたが、結構高価格帯のホテルに鞍替えしている感じですね。
ファミリーマートがあった。
が、中はファミリーマートではなく、しかもこの時間でも空いていなかった。
デリンクユの地下都市に行った。
カイマクルのほうが近くて有名だったが、こっちのほうが規模がでかかったのでこっちにした。
カッパドキアは見所が広範囲に点在しているため、
周遊ツアーなどもあったが、
あくまで安く、自由に、自分の好きな場所に好きなだけ時間をかけようと、
ドルムシュを乗り換えながら行った。
バスで出会ったシアトル出身のカップル(イチローを絶賛していた)と話しながらデリンクユで降り、
チケットを買うと、彼らは不敵に財布から意味深なカードを受付に提示し、
何と半額でチケットを買っていた。
「それどこで手に入れた?」
「イスタンブールにある観光局のオフィスのような場所でしかるべき書類を書いて作成したんだ。」と言っていた。
これを提示すると国内の美術館や遺跡などが半額になるらしい。
ここの受付にも『50〜〜』というそれらしきポスターまで貼ってあった。
トルコに来て学割も使えなかったのでそれは羨ましかった。
地下都市は、思ったよりも広いんだろうなぁと想像していたが、
そうやって思ったよりも更に広かった。
ルーマニアのブラン城よりも通路は広く、
伊賀の忍者屋敷よりも出るのが困難だった。
教会として使った十字の部屋や、キッチン、外に空気を逃がす煙突、
そして敵の進入に備え、通路を防ぐための大きな丸い岩。
このあたりの地域の人々は掘ることに関しては世界でも屈指なのではないだろうか。
地下都市を出て、お土産屋の前にあるレストランのパンケーキ。5リラ。
この何の変哲もない林檎もおいしかった。
帰りのバスに乗ると、シェケルバイラムのためか、タダで乗ることが出来た。
途中、ウチヒサルという町の上にそびえるラクダのような巨岩が目に入った。
これを撮りたいがためにバスを降り、歩いてギョレメまで帰るが、これがメチャメチャ遠い。
健脚であることをおすすめする。
カッパドキアは集落と集落との間隔が思ったよりもあるので、
歩きで全て行くとなると歩道がなかったり、飲み物が売ってなかったりも
するのできついです。
ギョレメパノラマ。
この景色と初めて対峙するとき、
見入らない人はいないだろう。
時にこの景色を見るために、一生をここに費やす人もいるだろう。
それほどこの景色は人々を魅了する。
光の当たり具合、
空気の霞み具合、
そのときの自分の気持ちによる、
またとない風景。
POTTERY KEBAPセット 15リラ。
この壺ケバブは元は別の地域の名物だったが、
いつのまにかカッパドキア名物になったらしい。
店員さんが形式的に壺をその場で割ってくれる。
宿にいる人懐こい猫。
この旅で出会った猫は非常に人懐こい猫ばかりで、
ここの猫はその中でも人懐こかった。
気付くとしっぽを手に当ててきたり、
椅子の下にいたり。
トルコ人は猫を呼ぶときに「プスプスプス・・」と言って呼んでいた。
すると不思議なことに寄ってくるのだが、
猫が邪魔なときも「プスプスプス・・」と言っていたので、
実際のところよく分からない。
この宿に、筋肉モリモリでちょうど芸人のCOWCOWの派手なほうにそっくりな人が泊まっており、
その人はサーフボードを持参して世界を旅していた。
スリランカでもサーフィンをしたが、観光地が軒並み高額で辟易したと言っていた。
仕事上英語を使っていたらしく、流暢な英語を話していた。
どこか旅人が帯びている様相を帯びていない旅人で、話していて楽しかった。
猫はその国の国民性を表します。
日本の野良猫は基本すぐ逃げて遠くから人を観察しますが、
他の国の野良猫は人懐っこいことがとても多いです。
夜の野良犬は猫とは違い、荒々しいので怖いです。
洞窟部屋。
昼間でも電気をつけないと真っ暗だが、
夏でもひんやりしてすごしやすい。
朝、オーナーのすすめで、
宿の上にある道を登ってビューポイントに行った。
野犬1匹と一緒に景色を見ながらボーッとした。
世界一周してそうな日本人カップル(初めての日本人カップルだ!)に撮ってもらった。
またもや関西弁だったが、意識のしすぎだろうか。
宿の猫は実はつい最近出産したらしく、
さらにかわいらしい猫が次期アイドルの座を虎視眈々と狙っていた。
この日は観光の団体客がこの宿に来るというので、
ある程度の静けさを確保するため、シューストリングという宿に鞍替え。
ドミ15リラ。
さっきの宿のオーナーのいとこがシューストリングの上のほうでホテルを経営しており、
そこにワンというトルコの地域原産の猫、ワンキャットを1匹飼っているというので、
この旅で猫好きになりかかっていた俺は見に行くことに。
この猫は、毛は真っ白、耳はほんのりピンク、
目は金と青の互い違いという稀有な外見、さらに泳ぐことが出来るという、
トルコでも珍しい猫なのである。
さっそく見に行った。
たしかに噂に聞くような見た目で目も互い違いだったが、
お昼寝タイムのため、相手をしてくれなかった。
この頃のカッパドキアは日本人や韓国人を結構多く見かけました。
最近はどうなんでしょうか?
場所はココ! Shoe String Cave Pension
ここは現在も営業中です。しかし、Googleマップ内の宿泊予約の価格が結構高いですね、
ドミトリーのあるホテルだったのですが、オフィシャルHPにも記載がないので、高価格帯に移行したようです。
トラベラーズに戻り、
同じ部屋に泊まった同い年の日本人と話す。
その人は俺以上に猫好きで、どうもウチヒサルに向かう道路(昨日歩いた道だ。)脇のお店はワンキャットを5匹買ってるらしく、
一緒に見に行くことに。
その前にランチ。
宿と宿の間にひっそりある、
いかにも穴場なレストランでメネメンという不思議なものをすすめられて食べる。
見た目は適当に材料をこねて作ったような感じだが、うまかった。
チャイもサービスしてもらった。 計5リラ。
彼は初の一人旅で、大学を休学して半年間、
中国からここまで旅をしてきたという。
初めてで大胆な旅をするもんだなと感心した。
とにかくイランが楽しかったと言い、
おもてなしが半端じゃないらしい。
飽きるほどモスクも見たが、
イスファハーンはやはり凄かったらしい。
そんな尽きるともない旅人の会話をしながら歩いて目的地に行く。
この青い目玉はナザール・ボンジュと呼ばれる、地中海沿岸で売られているお守り。
ギリシャでも見たし、
ブルガリアのリラでも売っていた。
「ここ?」
普通のロードサイドの土産屋だったが、
本当に5匹いた。
「どんどん見てってくれ。」とオーナーも言い、
しばらく遊んでいた。
コイツの目をじっと見ていると、
どこか引き込まれるものがある。
ときに凛々しく、
ときに愛らしい。
オッドアイが美しかったです。
Van というのはトルコ東部の地名で、そこが原産のようです。
これがそのメネメン。
これもこの地域の名物らしい。
猫と戯れた(もしくは猫に戯れられた)後、
ギョレメに戻るためにヒッチハイクを試みた。
彼(そういえば名前を聞きそびれた)はイランでヒッチハイクをしたときは、
30%の確率で乗せてくれたと豪語していたので、
悪くて10台に1台くらいは止まってくれるかと思ったが、
全然駄目だった。
しかたなく歩いてトラベラーズに戻り、
別の日本人と3人でトランプをした。
その人がイスラエル発祥のヤニというゲームを教えてくれ、
これが意外に盛り上がった。
『トランプ イスラエル ヤニ』で検索すると、中近東を旅して
このゲームをした日本人のルール紹介が出てきますね。
確か当時は日本語で検索しても出てこなかったです。
そろそろトラベラーズにも別れを告げ、
猫友達とトランプ友達にも挨拶をし、
5時過ぎに一人で自転車を借りて少し遠出をしてみることに。
3時間 10リラ。
最初は快適な荒野を、
颯爽とイージューライダーでも口ずさみながら気持ちよく走っていた。
ギョレメ→ゼルヴェ→ローズバレー→ユルギャップ→ギョレメというふうに戻ってこようと思ったが、
これを3時間で行くというのがなかなかの無謀で、
自転車の人とほとんど出会わなかったのがうなずける。
最初は意気揚々とipodに自作した旅用のプレイリストの曲順通りに
大声で歌いながらペダルを漕いでいましたが、これがまあ予想以上の道のりでした。
ミスチルの未来とか歌ってました。笑
パジャパー地区。
ここはバスも頻繁に立ち寄り、土産屋もある。
バスの観光客のような自然の笑顔を作れない自分がいた。
早く時間までに戻らないと日が暮れてしまう。
荒涼とした大地を、アップダウンにもろにうちのめされてひた走った。
時折はっとさせられるほどの景色を見るたび、
止まって写真を撮る。
水をもう少し買っておくべきだったと後悔した。
ゼルヴェ峡谷。 8リラ。
壁画や洞窟が残されていた。
ひたすら奥へと続いていたが、
のどが渇いたため先を急ぐ。
まだまだ道は長いのだ。
しばらく登り坂を走る。走る。
すると、バスが停車しているのが見えた。
そこにはウチヒサルの巨岩よりもラクダに見える岩を発見。
ここのお土産屋で水を買おうとするが、
この暑いときに便乗値上げをしているので、こっちも意地で買うのをやめてしまった。
ゼルヴェで食べたアイスキャンデーが更に喉を渇かせている。
日が傾くに従い、
風向きが変わるに従い、
俺の脚に乳酸が溜まっていくのが感じられた。
やっとのことでユルギャップに着き、
何をするでもなく通過する。
覚えている限りではこのユルギャップからローズバレーへと向かう坂道が一番きつかった。
どれだけギアを軽くしても進んでいる気がせず、
手押しで進んでもしんどかった。
やがて坂を登りきり、
近くにあった日本語を勉強中というおじさんのお土産屋で、
コカコーラとカッパドキアのアカスリ石を買った。
このコーラが兎に角体にしみた。
炭酸飲料には人それぞれ賛否両論あると思うが、
世の中に炭酸はあっても良いと俺は思う。
やっぱり結局コーラって大正義ですね。
夕日が沈んだローズバレーに着いた。
当然車もいないし、街灯もないので真っ暗。 本来ならお金を取られるであろう場所も素通り。
しかし見るべきものは何もなかった。
正確に言うと見えなかったので、
迅速に方向転換してゴールを目指す。
石畳の下り坂にずっこけそうになりながらも、
どうにか到着し、自転車を返却。
ギョレメに着いた途端、パンクをしていたことに気付いたが、
アレだけ走れば無理もない。
再び壺ケバブセット。 17リラ。
適当にお土産も見繕い、ホテルシューストリングに戻る。
中庭が適度な照明で落ち着く。
オーナーとバスケワールドカップ、アメリカ対トルコを観戦しながら談笑する。
そんななか、もう一人の宿のオーナーが日本人の女の子とほろ酔いで帰ってきた。
よく見ると、その女性はあのイスタンブールのハマムで会ったワカちゃんだった。
「あぁ〜!」
「あぁぁ〜!!」
全く、旅先で初めて会って話した人とよく会う旅だ。
結論じみたことを言うと、
たとえ広い国土でさえ、観光客の訪れる場所はある程度かたまっているらしかった。
中庭でワカちゃんと話す。
ワカちゃんはカッパドキアに来たものの、
例の祝日で足止めを食らい、行く予定だったパムッカレもやめたらしい。
その代わりイスタンからイズミルという場所に行き、
そこからここに来たという。
極めて順調に、何なら快適にトルコを旅してきた俺には心当たりがなかった。
バスでも2席占領して座れたし。
人にはそれぞれのストーリーがある。
私の場合多分たまたまバスの時間帯とか、行き先とかが幸いして、
祝日で混んでいるという印象を一切持たずに旅を続けていました。
少々話し込んでしまった。
明日は朝早くにサフランボルへ出発だ。
今見るとTDLの美女と野獣のエリアのようですね。笑
バスでサフランボルへ。
途中塩湖を通るも、長旅の疲れか、半分寝ながらしか見れなかった。
止まったサービスエリアでエキメッキを買う。
そこで見つけたお茶目な時計。
首都アンカラを経由する。
さすがにオトガルも大きかった。
そこからそれほど時間もかからずに、サフランボルに到着。
当初は来る予定はなかったが、名前の響きに誘われた。
実際来てみると、美しい田舎町といった印象を受ける。
ヨーロッパの整然とした街並みでもないし、
アジアの混沌とした街並みでもない。
トルコらしいといえばトルコらしい。
エフェゲストハウスという、
カッパドキアの情報ノートで絶賛されていた宿を訪れる。
ヤスミンさんという女性オーナーに出迎えられる。
この人は学生時代に日本語を学んでいたらしく、
流暢な日本語でおしゃべりをした。
学生のころ日本を訪れたとき、
東京駅で迷ってしまい(大半の日本人も迷うから心配いらない。)、初日は1万円ちょっとの宿に泊まってしまい、面食らったと言っていた。
日本人の友人に日本の歌も教えてもらい、
急に俺の目の前で、
「駐車場の猫はあくびをしながら〜・・」と、
ゆずの夏色をフルで歌ってくれた。
友人もなかなかいい歌を教えたもんだ。
夫と子どもと日本に旅行するのが夢なのだが、
今は二人目の赤ちゃんの世話で手一杯だった。
赤ちゃんはすやすや眠っており、その部屋でひそひそと喋った。
「以前はこの宿は日本人宿だったが、最近は日本人は少なくなり、韓国人が多数を占めてきている。なぜ少なくなってきてるの?」 と尋ねられた。
俺も予備知識で、深夜特急などの紀行文学が流行ったころや、
猿岩石のヒッチハイクが流行ったころはそれに憧れを持った旅人が多かったというが、
やはり日本人旅人は海外から見ても目減りしているのかと思った。
「韓国人がたくさん来てくれるのはありがたいんだけど、彼らは朝でも廊下をドタドタ歩くし、うるさいし、少し迷惑してる。日本人はいつでも気を使って歩くし、静かで優しい。どっちかというと日本人に多く来てほしい。」
それが真実であれお世辞であれ嬉しかった。
地球の歩き方にも掲載されていたエフェゲストハウス。
毎年最新版の歩き方が送られてくると言ってた気がします。
ヤスミンさんは日本人の間では宮沢りえに似ていると言われてましたが、
その例えに時代を感じますね。
場所はココ! Efe Guest House
現在も健在です。街の中心部に近くて立地がとてもいいです。
Efeとはヤスミンさんの息子の名前とのことでした。以前はバストンジュペンション(Bastoncu Pansiyonu) という宿名でした。
町を散策する。
こじんまりした町で、
いりくんだ通りを野良猫と一緒に進んでいった。
サフランボルは職人の町として発展し、
ブルガリアのヴェリコタルノヴォと相通ずるものがあった。
果物屋で洋ナシを買い、歩きながら齧る。
この時初めて洋梨がこんなにも
みずみずしくて美味しいのかと感じました。
サフランボル名物、クユケバブ。18リラ。
パンにつける蜂蜜が蜂の巣入りで、非常に美味だった。
宿の朝食。 朝は冷える。
トルコの朝食は大体どこでもこんな感じだった。
オリーブは初めなかなか食べ切れなかったが、
このころはもう慣れていた。 漬物みたいな感覚だと思う。
トルコのパスターネ(お菓子屋)。
サフランボルはロクムというやたらと歯にくっつくお菓子をよく売っている。
リビングの普通の押入れみたいな所に風呂があった。
土地事情の厳しい東京に取り入れてみても良いかもしれない。
エキメッキ屋。
大きいものはあまりに大きすぎて買う気になれない。
近くを通るとめちゃくちゃいい匂いがします。
でもパンの大きさを見て断念してしまいます。
多分小さいのもあると思うんですが。
自然な笑顔が可愛かったのだが、
カメラを向けるとかしこまった顔に。
サフランボル名物、ビュクメ。
中にほうれん草が入っており、少食の俺がなぜかペロッといけてしまった。
フルンスュトラッチという焼きプディング。
出されたときに、表面に少しカビがあったので、手で取って食べた。
帰国後結構家でも作ってました。
日本でも材料が揃うので作りやすいです。
地元の子どもたち。
チャルシュ広場で人間観察をしていると、
同い年ぐらいのトルコ人二人に声をかけられ、話をした。
ferhatとsafa。いとこ同士で、ferhatはここが地元で、
safaはやはり例の祝日で、イズミルから来たらしい。
タバコをおすそ分けしてもらい、三人で吸う。
「俺らの家に来ない? 夕食をご馳走するよ。」と言われ、
いざというときのための警戒心だけを持ってスタスタとついて行った。
カラビュックという場所の、山肌に張り付いた住宅街を登る。
歩いてはタバコを吸い、歩いてはタバコを吸う。
そうして(おそらく日本よりも)真っ暗な界隈に出ると、
そこに電気のついた大きな家。
中に招かれると、親戚含めての総勢24人以上(数えることが出来た人数)の大家族が歓迎してくれる。
「この子がこのおじさんの息子で、この女の子はあのおじさんの娘で・・」と説明してくれる。
当然覚えきれるわけはない。
しかし、その中でもひときわ異彩を放つ長老のようなおじいさん。
「He is Muslim Papa.」
最初は意味が分からなかったが、よくよく聞くと、
おじいさんはどうやらモスクで説法をする人らしく、
そう理解して改めて見ると、たしかにほりも深くて、
この人が言って聞かせた説教は効力がありそうだ。
この場にいる女性は席につかず、入り口付近で恥ずかしそうに、
しかし東洋人の顔立ちに興味があるのか、
みんなの視線を感じる。
こんな中でご飯を食べるのは初めてだ。
しかしこの食事、
お世辞なしにトルコで一番おいしかった。
おじさんとsafa。
最後にムスリムパパとトルコ式の挨拶を交わし、
バス停へと向かう。
連れて行ってやると言っていたferhatは突然バス会社の制服でリビングから現れた。
そう、彼はバス会社に勤めているのだった。
だからせかせかしていたのか。
バス停では、何か分からないが、
妙な宴が行われていた。
そしてイスタン行きのバスに乗り込むと、
驚いたことにferhatがバスの世話役だった。
何という偶然だろう。
コロンヤをふりかけてもらったとき、
どちらもニヤリと笑った。
そうです、さっき知り合ったferhatのバスに連れられ、
一緒にイスタンまで行くことになりました。笑
彼もすっかり仕事中の顔に変わってましたね。
結構寝たようだ。
気付くとイスタンのエセンレルオトガルに着いていた。
ここからセルヴィスで出来るだけスルタンアフメット地区に近づく。
途中で朝マック。 ダブルキョフテバーガーセット。10.1リラ。
冷静に考えると高い。
車内では爆睡。ふと気づくとferhatは姿を消しており、
別れの挨拶も出来ぬまま、イスタンのアジアサイドのバスターミナルに着いていました。
そこから寝ぼけたまま別のバスでヨーロッパサイドへと渡りました。
私が爆睡していたから気を遣ってそのままにしてくれたのでしょうか??
グランドバザールでシーシャ(水タバコ)を値切って購入。 25リラ。
今も歩き方に載っているのか不明ですが、
ここは観光地プライスではなく、現地プライスという感じで
味も美味しくよかったです。
新市街で食べたラフマジュン。2.5リラ。
食べ物の話ばかりだ。
『賢者は旅の話をし、愚者は食べ物の話をする。
ならば私は愚かな賢者といったところか。』
とはよく言ったものである。
最後の夜。
旅のほとんどが終わり、
サフランボルでついに罪と罰も読みきり(苦しかった)、
お金もそろそろ乏しくなってきている。
前回タクスィムにたびたび勧誘された、
いわくつきのブルーモスクとアヤソフィアの間にある席に、再び腰をかけ、
チャイ片手に今回の旅を自分なりに思い返してみる。
そもそもこの自由気ままな旅に成功も失敗もないのだが、
我ながらうまくやったほうだと思う。
トラブルはほぼなかったと言っていいし、(少なくともインドよりも)
限られた時間の中で、結構移動したほうだと思う。
自己満足の世界だが、この旅はこういうものとしてひとつ完結した作品というふうに解釈する。
色々な良かったことや、悪かったこと、
やめときゃよかったことや、やればよかったこと。
細かいのも数えりゃそんなのは絶対あるわけで、
しかしそれらを全部大風呂敷に包み、
一つの完成作品として自分の糧にしたいと思う。
ふと、自分の前で女性二人が、トルコ人にナンパされているのが目に入る。
タクスィムという言葉が聞こえる。
「またか。。」
そう思っているうちに男はあきらめ去っていった。 打率は低いらしい。
「タクスィムに行こうって誘われたんでしょ?」
俺が尋ねると、
「そう。 私たち予定があるから行けないって断ったけど。」
彼女たちはスペイン人の大学生。
一人がMarとか言ったっけな。
バレンシア出身らしく、お互いの国のことや、サッカーのこと、
なぜトルコに来たのかなどと話をする。
「バレンシアに来るなら、名物のすごく甘い飲み物があるから試してごらん。」
「わかった。そうするよ。」
「それじゃあ私たちはこれからパムッカレ行きのバスに乗らなきゃいけないからこの辺で。 Have a good trip!」
「you,too!!」
そう言って彼女たちはトラムのほうへと歩いていった。
何となく、その背中を約1週間前の自分と重ね合わせて見ていた。
アタテュルク空港にて。
この爆丸というアニメがトルコで流行っていた。
あの大家族の子どものTシャツもこれだった。
ドバイ編も少しだけ続く。
トルコも人々がとても優しく、お互いに言葉が通じないにも関わらず、
知らない異国の旅人を歓迎し、招き入れるという伝統というか、習慣みたいなものが
根付いている雰囲気がありました。国土も広いのでもっと見所もあるんだろうと思います。
コメント